母に「ママ」と呼ばれた日。私の子どもになるなんて、ズルくない!?【認知症母との介護生活#15】
60代主婦の日常を、4コママンガとエッセイにしてブログで配信をしている、ぱいなっぷりんさん。その中から、「認知症母との介護生活」を順に紹介していきます。
▼「認知症母との介護生活」マンガ 1話から読む▼
>>想像の遥か上を行く発想をする母に、考えたことは?【認知症母との介護生活#1】娘が帰郷した
先日
ドラ子が
我が家に来て
仕事をしていた 時
なにか うまくいかないことが
あったらしい
勢いよく 食堂に降りてきて
子どものように 泣き出した
3時間かけて
久しぶりに帰ってきた 実家
夕食を食べたら 早々に
3時間かけて
帰らなくてはいけない
そんな
タイトなスケジュールの 中
サクッ と終えるはずの仕事が
なかなか終わらなくて
家族と ゆっくり話す時間は
とうになくなり
夕飯を食べる時間さえ
取れるかどうか
そういった
追い詰められてしまった背景は
あったにしても
20代後半の社会人として
親の前で大泣き って どうよ?
とツッコみたい気持ちは
ここでは 取り敢えず 置いといて
その
ドラ子の大泣きに 共鳴するように
認知症母が
ドラ子の 上を行く大声で
泣き出したのには
驚いた
幼い子どもの場合
例えば
大好きなママが 泣いていると
感情がシンクロしてしまって
一緒に 泣き出すことが
あるけれど
それと まったく同じ
母が泣き出すと
その場の空気は
一瞬にして 母に支配され
ドラ子の涙は
一瞬にして 引っ込んだ
そりゃ そうだよね
ドラ子にしてみれば
うまくいかない このストレスを
発散したい
という気持ちを
母親だったら
受け止めてくれるだろう
との計算のもと
泣いたはずだからね
恐らく
母の
どストレートな感情の爆発とは
パワーが違う
もっとも
母の その感情の波は
脳科学的には
老化からくるらしいんだけど
母は 泣きながら
ドラちゃんが かわいそう
と 何度も繰り返し
挙げ句
ママ
ドラちゃんを どうにかしてあげて
と 泣き叫んだ
母から 初めて
ママ
と呼ばれた
認知症の親は
症状が進んでくると
娘のことを
自分の親 と誤認することがある
そんな話を 聞いたことがあって
その時は
我が家でも
いつか そんな日が来るのかなあ
そう言われた時
私は 何を感じるのかな
と想像したりしてはいたんだけど
初めて
ママ
と呼ばれた時
私は
なんだか
すごく イヤだった
それは
親には
最後まで 親でいて欲しい
そういう感情と
それから もうひとつ
普段は
あまり 顔を見せないけれど
母に対する
決して プラスばかりではない
まだ 自分の中で
消化しきれていない
いろいろな感情が 思い出されて
ちょっとぉ
今 ここで 都合よく
私の子どもになるなんて
ズルくない?
そういう思いが あった
この歳になっても
まだ 引きずっている
そんな 思い
いつか
自分の中で
消化できる日が来るといいけど
その後
私は
母と一緒に
急ぐドラ子を 車で東京駅まで
送っていった
その 帰り
都心を走りながら
母は
久しぶりに
街の夜景を見たわ
きれいねえ
観に連れてきてくれて
ありがとう
と言った
ドラ子を送るために
車を出したことは
すっかり 忘れているようだった
もしかしたら
ドラ子が来たことさえ
覚えていないかもしれない
私を
ママ
と 呼んだことだって
たぶん
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