狩人、チェリッシュ…青春を彩った昭和の名曲と再会!【夢グループ20周年記念コンサート】第1部レポート
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恩田貴子
【保科有里】圧巻の歌唱力と、社長との名コンビ
「社長〜、安くして〜!」
「夢グループ」テレビCMの耳に残る甘いフレーズで、一躍注目を集めたのが、保科有里さんだ。
「誰なの、この人?」「まさか社長の愛人!?」––––そんな憶測も飛び交ったが、実は保科さん、歌手歴30年を超える大ベテラン。
「保科さんを僕に紹介してくださったのは、ある作曲家の先生なんです。『社長のところに、女性の歌手は必要ではありませんか?』と。どんな方かと聞いたら、『すごく歌がうまいんだ』『年は社長と変わらないけど、すごく若々しいよ』と言われました」(石田)
「社長、女性に対して年齢のことは……」と、すかさず保科さんがツッコミを入れる。絶妙な間合いと明るい笑顔に、客席に笑いが広がる。
保科さんは30代で遅咲きのデビューを果たした。憂いのある低音で、演歌からジャズまで、ジャンルを超えて歌いこなす。
この日、最初に披露したのは、加藤登紀子さんの「100万本のバラ」。その歌声は、石田社長の「CMだと『社長、安くして~』なんて言ってるけど、本当はものすごい歌が上手いんだから!」という言葉どおり、つややかでパワフル。
貧しい画家が、愛する女優のためにすべてを捧げてバラを贈る……。そんな壮絶な愛の物語を、まるで一人芝居を演じるかのように歌い上げる。情感豊かなパフォーマンスに、客席は息をのむ。歌い終えた瞬間の割れんばかりの拍手は、彼女が単なる「CMの人」ではなく、一流の歌手であることを何よりも雄弁に物語っていた。
客席が静かになったところで、保科さんがふとつぶやいた。
「……私、歌手なんです」
会場はドッと笑いに包まれる。その自然体なひと言に、長年のファンはもちろん、初めて彼女の歌声に触れた観客までもが、すっかり心をつかまれてしまったよう。
その温かいムードの中、ラストの曲へ。恩師が亡くなる直前に、「一生大事に歌ってほしい」と保科さんに託したという「さくらの花よ 泣きなさい」は、亡き人を想う歌だという。
歌い終えた後の深い静寂と、そこから広がった温かな拍手、それこそが保科有里という歌い手が、聴く人の心を確かに揺さぶった証だった。
【チェリッシュ】変わらぬ歌声で、幸せの“てんとう虫”を
「実は僕、昔からチェリッシュの大ファンだったんですよ」(石田)
石田社長の“愛の告白”から始まったのは、チェリッシュのステージ。どこが好きだったのかというと––––。
「うちの姉貴は怖いんです。だから悦子さんのように、やさしくて品のあるお姉さんが欲しかった。そしてなにより、歌がよかった。『こんな恋がしてみたいなぁ』って思いながら、チェリッシュの曲を何度も何度も聴いていました」(石田)
今も変わらず、チェリッシュは自分の“憧れ”だと語る石田社長。その思いを体現するかのように、えっちゃんこと松﨑悦子さんは、お姫さまのような純白のロングドレスで登場。夫の好孝さんは、ダンディな装いでステージに現れた。
デビューから50年以上が経った今も、えっちゃんの可憐な歌声は変わらない。その透き通るような歌声が奏でる「てんとう虫のサンバ」のメロディに、客席のあちこちで笑顔がこぼれ、会場は一気に幸福感で満たされていく。
1973年に発表されて以来、結婚式の定番ソングとして長く愛され続けてきたこの曲。青春時代に口ずさんだ人、自身の結婚式でこの曲に涙した人––––それぞれの思い出が、会場中にそっと蘇る。
まさにこの曲のとおり、1977年6月に夫婦となった二人。実はこの日のステージの前日が、結婚記念日だったのだという。
「出会ったときは、まさかこんなに長く一緒にいるとは思わなかったけど、ここまで来たってことは、やっぱり赤い糸で結ばれていたのかもしれませんね」(悦子)
「最初はそうだったかもしれないけど、だんだんその糸が……」(好孝)
(二人同時に)「絡まっちゃう!」
ハーモニーだけでなく、掛け合いまで息ぴったりの二人のやりとりに、客席からは温かな笑いが起きる。
ケンカしながらでも仲よく金婚式を迎えたい……。そう語る二人が披露したのは、「白いギター」。少しも色褪せない清らかな歌声に、客席はすっかり魅了されていた。
ともに時を重ねた二人にしか表現できない、深く、やさしい音色。そのハーモニーは、聴く人の心をやわらかく包み込み、忘れられない余韻を残した。
【黒沢年雄】俳優ならではの存在感で歌う、大人の愛の歌
第一部のトリを飾ったのは、俳優としても人気を誇る黒沢年雄さん。シルバーヘアに洒脱なストライプのスーツを着こなした姿は、81歳という年齢が信じられないほどの若々しさだ。
そんな黒沢さんを迎えて始まったのは、石田社長による「夢グループの歩み」講座ともいえるトーク。
「狩人に続いて、三善英史さん、チェリッシュが事務所に入り、『紅白歌手が3組もいるぞ!』と、『夢グループ』がようやく注目され始めたんです。その後、松方弘樹さん、千昌夫さん、小林旭さんと、次々にスターが入ってきました。なんでうちに?って思うでしょ?」(石田)
まずは松方弘樹さんとの出会いから。
「松方さんは、マグロ釣りの最中に電話がかかってきたんです。『帰ったらすぐ夢グループに入る。だから今月の給料、これだけ振り込んどいてくれ』って(笑)。あれにはびっくりしました」(石田)
続いて、千昌夫さん。
「千さんとは、僕と同じ東北出身というご縁です。『一緒に東北を盛り上げっぺ!』と、来てくれました。ズーズー弁が今も抜けないのは、きっと千さんの影響ですね(笑)」(石田)
そして、小林旭さんのエピソードはさらに驚きだ。
「小林旭さんは、『夢グループ』の通販部門にご本人から直々に電話があったんです。「『小林旭です。社長さんかい?』って。そう言われても僕はわからないから、『どちらの小林さんですか? どのような商品を注文されたんでしょうか?』と答えたら、『俺がわからないのか!』と怒られました(笑)。小林さんいわく、『社長は芸能界のことも、芸能人の気持ちもまだわからないと思う。だから俺が教育係として入るよ』と。こうして東映のスター・松方弘樹さんと、日活のスター・小林旭さんがわが社に揃いました。であれば、東宝のスターの方も来てくれないかと思ったんですね。それが黒沢年雄さんというわけです」(石田)
ひとしきりトークがすむと、石田社長がマイクを置き、黒沢さんがステージの主役に。舞台は一気に「黒沢ワールド」へと変わっていく。
選曲は、1978年の大ヒット曲「時には娼婦のように」と、1985年に発表した「酒とバラの日々に」。俳優ならではの豊かな表情と間、そして渋みのある低音で、愛の喜びや哀しみ、大人の色気や痛みまでも、まるで語るように、そして演じるように歌い上げる。
その姿に、客席はただ静かに見入っていた。歌い手であり、表現者でもある彼だからこそ醸し出せる、独自の世界観がそこに広がっていた。
こうして、名曲と笑い、そして人間味あふれる語りに満ちた第1部は、盛大な拍手の中で幕を下ろした。
撮影/園田昭彦
