記事ランキング マンガ 連載・特集

【べらぼう】江戸のヒットメーカー・山東京伝(古川雄大)と恋川春町(岡山天音)のユニークな生涯とは?

公開日

更新日

鷹橋 忍

武士で江戸藩邸に勤めた「恋川春町」

恋川春町の本名は倉橋格(いたる)といい、駿河小島(おじま)藩(静岡市)の藩士です。春町は延享元年(1744)に、紀州藩の付家老・安藤帯刀(たてわき)の家臣である桑島勝義(かつよし)の次男として生まれました。蔦重より6歳年上となります。

春町が人生で最も深く関わりがあったとされる、尾美としのりさんが演じる秋田藩士・平沢常富(つねとみ/朋誠堂喜三二[きさんじ]。ここでは喜三二で統一)は享保20年(1735)生まれで、春町より9歳年上です。

宝暦13年(1763)、20歳の時に春町は伯父の駿河小島藩士・倉橋忠蔵(実父の実兄)の養子に迎えられ、藩主・滝脇松平家に仕えるようになりました。恋川春町の号の由来は、小島藩の藩邸の在地「小石川春日町」をもじったといわれています。

春町は江戸藩邸詰の藩士として、出世街道を順調に駆け上がっていきます。職務と併行して、片岡鶴太郎さんが演じる妖怪画の名手・鳥山石燕(せきえん)から学び、絵師としての才能も開花させていきます。

【べらぼう】江戸のヒットメーカー・山東京伝(古川雄大)と恋川春町(岡山天音)のユニークな生涯とは?(画像4)

大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」第30回より ©NHK

武士でありつつ、出版界にデビュー

江戸藩邸詰の武士などは比較的、時間に余裕があったようで、戯作や絵描きを内職とする者が少なくなかったといいます(鈴木敏夫『江戸の本屋(上)』)。春町も安永2年(1773)、30歳の時に金錦佐恵流(きんきんさえる)作の洒落本『当世風俗通(とうせいふうぞくつう)』の挿絵絵師として、出版界にデビューを果たしました。金錦佐恵流は、春町の親友・喜三二の別名だとされますが、春町だともいわれます。

春町は文才にも恵まれており、同年、文章も絵も自身が担当した作品を、片岡愛之助さんが演じた鱗形屋孫兵衛のもと出版し、大ヒットを飛ばします。その作品とはドラマにも登場した『金々先生栄花夢(きんきんせんせいえいがのゆめ)』です。

謎の死

その後も春町は、青本を次々と世に送り出していきました。安永6年(1777)からは、喜三二も青本を出版しています。おそらく春町のすすめによるものだとみられており、作品の挿絵の多くは春町が描いていました。

喜三二も恋町と同様に、人気作家になっていきます。春町と喜三二は、鱗形屋の専属的な作家といった存在でした。ですが、鱗形屋が1780年代に廃業すると、春町と喜三二は蔦重と手を組むことになります。

寛政元年(1789)正月、春町は蔦重のもと、松平定信の改革政治を揶揄した『鸚鵡返文武二道(おうむがえしぶんぶのふたみち)』を出版しました。『鸚鵡返文武二道』は大ヒットを飛ばしますが、春町の最後の作品となってしまいます。

春町は定信の不興を買い、同年4月に召喚を受けました。ですが、春町は病気を理由に呼び出しに応じないまま、同年7月に帰らぬ人となったのです。享年46でした。人気作家の突然の死は様々な憶測を呼びました。藩に迷惑をかけるのを恐れて、自殺したともいわれます。

喜三二も、前年の天明8年(1788)に松平定信の改革を風刺した『文武二道万石通(ぶんぶにまんごくとおし)』を出版していますが、藩命により筆を断ったため無事でした。

ドラマでは最近すっかり明るくなり、楽しそうな恋町ですが、この先、悲しい運命が待ち構えているのです。

▼あわせて読みたい▼

>>【べらぼう】蔦重(横浜流星)が出版した「青本」「往来物」とは? >>【べらぼう】蔦重(横浜流星)の妻・てい(橋本愛)のメガネが個性的! 江戸時代のメガネ事情は? >>【べらぼう】江戸時代に大ブームが巻き起こった「狂歌」とは? 大田南畝(桐谷健太)はどんな人物?
画面トップへ移動