【あんぱん】ほぼすべての視聴者が目撃した気分になった、嵩(北村匠海)の大きな転機—“名曲”が生まれる瞬間
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田幸和歌子
そして嵩はぽつりとつぶやいた
この「嵩さん」という呼び方がまた、ふたりの関係性の変化を象徴する。もともと嵩が高知にやってきたころからずっと続いていた呼び捨てから〝さん〟付けへの変化。第1話のプロローグ的な場面で晩年の夫妻が登場し、この「嵩さん」呼びをしていたことがとても印象的で、いつ変わるんだろうと思っていたところ、今週の冒頭、のぶに嵩が髪を切ってもらっているシーンで自然にそれは飛び出した。
三星を辞め、漫画家としての独立を祝ってという理由づけも前向きで好ましい。
「嵩さんはこれから有名な漫画家の先生になるのに、呼び捨ては失礼やき」
自身もこのすぐあとに6年つとめた薪鉄子(戸田恵子)の秘書をクビになるという大変な境遇に陥ってしまうわけだが、夫婦で支え合う、それ以上に嵩の才能を一番理解して一番信じているからこそがんばれる。自分ががんばるから、嵩は気兼ねせず漫画に集中しろという。まさに「はちきんののぶ」そのままである。
こうしてミュージカルの準備はすすみ、本番前日。「一曲だけでも聞いていって」と、「見上げてごらん夜の星を」をいせが披露した。
アカペラでじっくりと歌い上げられる名曲。Mrs.GREEN APPLEの楽曲での歌唱とはまた違う低音が響く歌い方もとても美しい。もちろんもともとの曲の力もあるが、大森元貴のヴォーカリストとしての魅力が大きく発揮され、引きつけられる名シーンである。
公演初日。のぶと嵩は完成したミュージカルを観覧、その打ち上げの場でどの歌詞も素敵だったと言う嵩に永輔は、「柳井さんにだって書けますよ」と言った。いつものごとく自分には無理ですと自己肯定感低い嵩に、永輔は言った。
「柳井さんは人を描ける作家です。ぼくにはわかります」
本質を突く、大きな一言である。八木も「あいつの書く言葉は全部、俺には詩に聞こえるけどな」と言っていた。しかしそれでも嵩は、自分は漫画家なんだとそれを断ってしまうたっすいがのままである。
一番やりたいことがうまくいかずますます陰鬱になる嵩に、のぶは人を喜ばせるのは漫画ばかりじゃないと励ます。そんなところに、停電が発生する。あわててつけた懐中電灯。そのときのぶがハッとする。
懐中電灯に照らされた手のひら。それを見て言った。
「ほら、血が流れゆう」
そして嵩はぽつりとつぶやいた。
「手のひらを、透かして見れば、真っ赤に流れるぼくの血潮……」
放送はここで終了したが、ほぼすべての視聴者は、嵩の大きな転機を目撃した気分であろう。
そう、作詞家・柳井嵩誕生の瞬間だ。
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