認知症の夫がシーツに…「自分が何者か」を忘れた夫を3年間介護。最期は絵筆を走らせて私の肖像画を…
介護をされる側も、する側も、ストレスのたまる認知症介護。体験した先輩たちは、どのように大変だった時期を乗り切り、どのように息抜きや気持ちの切り替えをしていたのでしょうか? 今回は、認知症の夫を3年間介護した「ゆうゆう」読者・浅生田幸子さん(86歳・神奈川県)の体験談をご紹介します。
画家として最期を迎えさせたい。ただ、その一心でした
自宅介護をして3年、2018年に夫は93歳で亡くなりました。
山岳や花の絵を得意とし、地元の美術協会会長も務める画家でしたが、不慮の事故が原因で脳内に血がたまり、その後、言動に混乱が見られるように。
半年ほど入院していましたが、病室で「自分が何者か」を忘れていく夫。最期まで画家として生きてほしいと強く思い、自宅で介護することを決めました。
夫は私が通っていた絵画教室の先生でした。23歳のときに結婚、3人の子どもに恵まれました。その子どもたちが、介護の支えとなってくれました。私は「絵描きの先生」に戻ってほしくて、ベッドのそばに絵の具を並べ、花を飾り続けたりと、必死でした。最初はプラスチックスプーンで絵の具をつついていたのですが、やがて絵筆を手にするようになってくれました。倉庫に眠っていた昔の自分の絵に向かって、「このオレンジが汚い。明るくするといいよ」などアドバイス(?!)をすることも。「先生、少し戻ってきたわ。絵描きだってわかってきたみたい」とうれしくなったものです。
ある日とうとう、寝ているベッドのシーツに筆を走らせたのです。見ているだけで幸せを感じる浄土の絵でした。さらに別の日、足湯をしてあげていたら、私の頭をなでてくれました。そして私の顔を描いてくれたのです。描いてもらっていたときの私はうれしくてずっと泣き顔だったのに、先生が描いた私は笑っていました。
シーツに描いた浄土に向かう舟
初めてシーツに描いた絵。この人を絵描きに戻す。その一心でした。子どもたちや介護のプロの方々にもたくさん協力していただきました。
突然描いた私の肖像画
あっという間に描きあげた私の顔。先生のそばに座って描いてもらっていたときの私はずっと泣き顔だったのに……。
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取材・文/子安啓美
※この記事は「ゆうゆう」2025年10月号(主婦の友社)の記事を、WEB掲載のために再編集したものです。
