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夫が獄中でも結婚・出産を選んだ理由は?【加藤登紀子】の体験に学ぶ、怖さを手放して決めるための考え方

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ゆうゆうtime編集部

未婚の母と言われても産んだほうがいい

大学卒業は1968年。翌69年には「ひとり寝の子守唄」で、71年には「知床旅情」で日本レコード大賞歌唱賞を受賞する。71年には紅白歌合戦への初出場も果たした。そして72年にかねて交際をしていた全学連のリーダー・藤本敏夫と獄中結婚し、第一子を出産する。そのあたりの話を聞かないわけにはいかない。

藤本敏夫が学生運動の関連で実刑判決を受けたのは72年4月。そこから2年半は刑務所で過ごすわけだが、2人は72年5月に結婚して、加藤さんが長女を出産したのは同年12月。

「藤本が刑務所に入るときに結婚の話をしたんですが、彼は断固拒否でした。学生運動ではあれだけの人が命を懸(か)けたのに未来が開けなかった。僕はその責任を取って刑務所に行く。刑期を終えるまでは結婚はあり得ない――と。

私は彼の意思を尊重したんですけど、実はその頃にはすでに長女がお腹のなかにいたんです。

背中を押してくれたのは藤本の友人の父親でした。その人は婦人科のお医者さんで『何があっても産んだほうがいい。未婚の母と言われても産んだほうがいい』って言ってくれたんです。その言葉を受けたときに、私は子どもを産むことと、藤本と結婚することを決めました。あれは私の人生で一番大きな選択でしたね。

もちろん、前科者の妻になることで仕事がなくなるかもしれないってことは考えました。でも覚悟したんです。子どもを産むことが一番大事なんだと。それに比べれば仕事がなくなることなんて大したことないって」

学生運動の闘士たちは皆きたなく、むさ苦しかった。しかし藤本敏夫だけは、いつも綺麗な白いワイシャツを着て腕まくりをし、第一ボタンだけ外してヘルメットをかぶっていた。演説もかっこよかった。1980年頃、彼は千葉に移り鴨川自然王国を作った。農業を始めたのだ。これもかっこよかった。農村と都市との循環型ライフスタイルを提案する。その活動は今も娘たちに引き継がれている。

Profile 鎌田 實さん

かまた・みのる・医師・作家
1948年東京都生まれ。東京医科歯科大学医学部卒業後、諏訪中央病院へ赴任。30代で院長となり、潰れかけた病院を再生させた。「地域包括ケア」の先駆けを作り、長野県を長寿で医療費の安い地域へと導いた。現在、諏訪中央病院名誉院長、地域包括ケア研究所所長。チェルノブイリ原発事故後の1991年より、ベラルーシの放射能汚染地帯へ100回を超える医師団を派遣し、約14億円の医薬品を支援(JCF)。2004年からはイラクの4つの小児病院へ4億円を超える医療支援を実施、難民キャンプでの診察を続けている(JIM-NET)。東北はもとより全国各地の被災地に足を運び、多方面で精力的に活動中。べストセラー『がんばらない』他、著書多数。

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※この記事は『女の“変さ値”』鎌田實著(潮出版社刊)の内容をウェブ記事用に再編集したものです。

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