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週刊誌に書かれた“あやしい噂”も笑い話に【美川憲一さん×安奈淳さん】の長い友情と「歌い続ける」日々

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依田邦代

2025年秋に心臓の手術をし、パーキンソン病も見つかった美川憲一さん。病を得て、歌への情熱が一層強くなったというその思いを、60年来の友人、安奈淳さんと語り合っていただきました。

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>>【美川憲一さん×安奈淳さん】1カ月半の入院で筋肉が落ちた…それでもステージへ。病と歌をめぐる本音の対談

Profile
美川憲一さん 

みかわ・けんいち●1946年、長野県出身。
65年デビュー。66年に発表した「柳ヶ瀬ブルース」の大ヒットで脚光を浴びる。その後もムード歌謡の名曲「さそり座の女」などのヒット曲を次々と放ち、スター歌手の仲間入りを果たす。
80年代以降は独特のユニセックスなキャラクターや歌声、派手なファッションでより幅広いファン層を獲得。また、辛口のコメンテーターとしてTV番組にも頻繁に出演。

安奈淳さん 

あんな・じゅん●1947年、大阪府生まれ。
65年、宝塚歌劇団入団。70年に星組男役トップスターに、74年に花組トップスターになる。75年、『ベルサイユのばら』でオスカルを演じ一大ブームを巻き起こす。
78年に退団後は、舞台、テレビドラマに出演。現在は歌手として活躍中。昨年12月には帝国ホテル大阪でクリスマスディナーショーを開催。
著書に『70過ぎたら生き方もファッションもシンプルなほど輝けると知った』(主婦の友社)他。

私には歌しかない、と今では思ってます (安奈)

––––美川さんはコンサートの最後にシャンソンの「生きる」を歌われることが多いですね。病気をされてからは、歌詞が美川さん自身の言葉のように聞こえて、より感動的です。
美川 「生きる」は、シャンソン歌手の深緑夏代さんに譲っていただいた歌。一度、コンサートで歌わせていただいたときに、聴きにいらした深緑さんが、「美川君、あなたの声にぴったりね。年を重ねたらこの歌いいわよ。歌い続けなさいね」と。すぐ次の日から歌ったわ。一生の歌です。亡くなるまで歌い続けます。
安奈 深緑先生は宝塚歌劇団に教えにいらしていて、私はその第1期生。19歳でした。宝塚にはシャンソンを題材にしたショーが多くて、19歳のとき「ラブ・ラブ・ラブ」というショーに抜擢されて、アズナブールの曲を歌ったのがシャンソンとの出会い。そのときからずっとシャンソンを歌っています。
美川 シャンソンでは娼婦にも、貴婦人にも、少女にもなれる。殺人者にも。ドラマがあるのよね。
安奈 そう、男にも女にもおじいさんにもおばあさんにもなれる。
美川 シャンソン独特の世界ね。
安奈 私は深緑先生に「毛皮のマリー」を歌いたいって言ったら「だめ」って。「あんたの感じじゃない」って。
美川 私は娼婦の歌、上手よ。はすっぱな女の歌が(笑)。
安奈 「貴婦人」もまだ早いって言われたことがあって。やっと今、その年齢になって歌ってます。
美川 早い早いって言うわよね。
安奈 人生でいろいろ経験すると深みが出る歌が多いですね。逆に「夢見るシャンソン人形」なんかは今歌ったらおかしいけど(笑)。
美川 私は、淡谷のり子さんに「あなたはシャンソン向きだから歌ったほうがいいわよ。今は若いけど年とったら必ず枯れるの。そのときにピアノひとつで歌えるのがシャンソンよ」と言われたの。それで越路吹雪さんを紹介してほしいとお願いしたら「あらぁ、私はどうなるの?」って。お母さまって言うとまずいから、「淡谷さんは、お姉さまのような師匠のような存在です」と答えたら機嫌を直して「いいわ、コーちゃんに電話してあげる」って。それから越路さんとのおつき合いも始まりました。
安奈 越路さんは56歳で逝ってしまいました。1965年から80年まで16年間、日生劇場でロングリサイタルをされたじゃない? 普通は1日でもヘロヘロになるのに、毎年1カ月も公演した。そのストレスが体に来たのかもと思いました。
美川 越路さんは、パリでピアフのライブを観たあとに「私は今まで何をやっていたんだろう」ってホテルでわんわん泣いたんですって。それでロングリサイタルを始めたのよ。1回目のリサイタルは銀座のヤマハホールで。私、そのときの写真を持ってるわ。越路さんにいただいたの。
安奈 そう。越路さんが1953年からリサイタルをされたホールだと聞いて、私も病気から回復して初めてのコンサートはヤマハホールでやりました。光栄でしたし、復帰できた喜びをかみしめた思い出のホールです。
美川 私は初め俳優志望だったの。3枚目のシングル「柳ヶ瀬ブルース」はレコーディング直前まで気乗りがしなくて、憮然と歌ったら、それがかえってよかったみたい。その後もヒット曲に恵まれ、歌とともに年をとって、シャンソンに出合ってやっと年相応の自分らしい歌を歌えるようになったの。今、私は歌があるからこうして生きていられる。そういう意味では60年よくやってきたと思うわ。
安奈 私は自分を歌手だと思ったのはつい最近。宝塚でずっと舞台をやっていたから、歌い手という感覚があまりなかったの。でも、歌っていると体中の細胞が活性化して火事場のバカ力みたいに声が出る。今では、私には歌しかない、と思っています。

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