【どうする家康】女城主 お田鶴(関水渚)の悲劇。100本の椿を手向けた築山殿(有村架純)は自身の悲劇を察していたか
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鷹橋 忍
連龍の誅殺
翌永禄7年(1564)4月8日に家康と対面していることから、連龍の今川への反乱の背後には、徳川の存在があったとみられています(大石泰史『今川氏滅亡』)。
連龍は溝端淳平さんが演じる今川氏真によって、一度は赦免されます。
ですが、家康に再び内応したとして、永禄8年(1565)12月に駿府に呼び出され、誅殺されたといいます。
このときにお田鶴も駿府におり、今川勢相手に奮戦したとの伝承も残っています。
引馬城の惨劇
連龍の死後、引馬城は、家老の江馬安芸守と同加賀守が守ったといいます。
ですが、安芸守は武田、加賀守は徳川へつくことを主張し、対立します。
対立は抗争へと発展し、安芸守は加賀守を殺害し、加賀守の家臣が安芸守を殺害するという惨劇が起こりました(細江町史編さん委員会編『細江町史 通史編 中』)。
城主であった連龍が亡くなり、家老の江馬安芸守と同加賀守も殺害された引馬城は、家康に明け渡されることになるのですが、伝承によれば、このときお田鶴は、家康の軍勢の引馬城攻めに、果敢に立ち向かいました。
お田鶴の死
お田鶴は緋色の鎧を纏い、純白のはちまきを締め、長刀を手に18人の侍女を率いて、城門を開け放ち、家康の軍勢に斬り込み、討ち死にしたと伝わります。
『細江町史 通史編 中』によれば、お田鶴の亡骸は、引馬城の東北500メートルの地に葬られたといいます。
有村架純さんが演じる築山殿(ドラマでは瀬名)は、お田鶴の葬られた塚の周りに100株あまりの椿を植えて、供養したと伝えられます。
ドラマでも、お田鶴は「椿が好きだ」と言っていましたね。
お田鶴の死を悼んだ築山殿ですが、築山殿自身にも悲劇が迫っていることを、彼女は気付いていたでしょうか。