【どうする家康】家康との衝撃的な出会い。井伊直政(板垣李光人)は、大変な美男子だったと伝わる
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鷹橋 忍
徳川家康というと、どういうイメージをもっていますか? 2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」では、どんな家康が描かれるのでしょうか。戦国武将や城、水軍などに詳しい作家 鷹橋 忍さんに、知られざる徳川家康の姿や時代背景などについてひも解いていただきましょう。
大河ドラマ『どうする家康』第16回「信玄を怒らせるな」では、板垣李光人さんが演じる、舞を披露する土地の娘に混じり家康の暗殺を謀った人物が、井伊直政(ドラマ登場時は井伊虎松。ここでは直政で統一)であることが、明らかになりました。
武田の人質となった長尾謙杜さんが演じる松平源三郎勝俊(康俊とも。ここでは勝俊で統一)の健気さと、ボロボロとなった痛々しい姿は、涙を誘いました。
武田家では、眞栄田郷敦さんが演じる武田勝頼が初登場しました。
そこで今回は、井伊直政と松平源三郎勝俊、武田勝頼の、ここまでの人生をご紹介したいと思います。
まずは、衝撃的な登場をした井伊直政からみていきましょう。
井伊直政
井伊氏は、遠江国の井伊谷(静岡県浜松市北区)を拠点とする名門武家の一族です。
戦国期には、戦国大名今川氏に従属しました。
永禄3年(1560)年の桶狭間の戦いでは、井伊家の当主・直盛が今川勢として参戦し、討死しています。
直政は、この桶狭間の戦いの翌年・永禄4年(1561)に、井伊谷で生まれたとされます。
家康よりも19歳年下です。
直政は、大変な美男子だったと伝わります。
直政は何歳だった?
直政の父である井伊直親は、直政が生まれた翌年の永禄5年(1562)、今川氏の命により謀殺されたといいます。
直政の父親が殺害された理由ですが、直親が徳川に接近しているという噂が流れたためだといわれます。
ドラマで直政が家康の暗殺を図ったのは元亀元年(1570)と思われますので、家康は数え年で29歳、直政は10歳です。
次に登場するときは、直政はいくつになっているのでしょうか。
家康の異父弟・松平源三郎勝俊
松平源三郎勝俊は松嶋菜々子さんが演じる家康の生母・於大の方と、於大の再婚相手であるリリー・フランキーさん演じる久松長家の間に生まれました。
生年は弘治元年(1555)、あるいは天文21年(1552)といわれます。
弘治元年生まれなら異父兄・家康より13歳年少、天文21年なら10歳年少となります。
於大の方と久松長家の間には康元、勝俊、定勝の三人の男子が誕生し、勝俊は第二子とされます。
同父弟のいない家康は、康元、勝俊、定勝の三人の異父弟たちに、「松平」の名字を与えました。「久松松平家」の誕生です。
今川と武田の人質に
江戸幕府編纂の武家系図『寛政重修諸家譜』によれば、勝俊は永禄6年(1563)、溝端淳平さんが演じる今川氏真の人質となりました。
弘治元年生まれなら数え年で9歳、天文21年生まれなら12歳のときのことです。
ところが、永禄11年(1568)、阿部寛さんが演じる武田信玄が駿河へ侵攻すると、今川家臣の三浦与一郎という人物が、今川を裏切り、勝俊を伴って、武田に降ったのです。
信玄は喜び、勝俊を甲斐国に送ったといいます。
凍傷で両足の指を失う
元亀元(1570)年11月、家康の計略により、勝俊は甲斐を脱出します。ドラマで描かれたように、山田孝之さんが演じる服部半蔵が救出に向かったかどうかはわかりません。
勝俊は脱出に成功し、三河に帰還しましたが、大雪のなか、険しい道を越えたため、凍傷によって、両足の指を失ってしまいました。
この不運な異父弟を、家康はどうするのでしょうか。