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【どうする家康】徳川十六将の一人 大久保忠世(小手伸也)は、家康だけでなく信長からも賞賛されていた

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鷹橋 忍

信長に褒められる

忠世が信長から賞賛を受けたとされるのは、天正3年(1875)5月に起きた、「長篠合戦」です。

『三河物語』によれば、眞栄田郷敦さんが演じた武田勝頼率いる武田軍と、織田・徳川軍が激突したこの戦いにおいて、忠世と弟の大久保忠佐は、敵と味方の間に乱入。
敵が攻めてくれば引き、敵が引けば攻め、大久保兄弟は見事な采配で、大勢の人々を動かしました。

それを見た信長は、「家康の軍の前方にいる金の揚羽の蝶の羽と、浅黄の石餅の指物の武士は、敵かとみていると味方、味方とみていると敵だ。行って、敵か味方か見てこい」と指示を出したといいます。

家康に尋ねると、家康は、二人が自分の家臣で、金の揚羽の指物の武士は忠世、浅黄の石餅は忠佐であると、答えました。

その報告を聞いた信長は、「家康は、よい家臣をもっている。わたしは、彼らほどよい者をもっていない。彼ら兄弟は、よい膏薬だ。べったりと敵にとりついて、離れない」と言ったといいます。

小田原へ

天正18年(1590)の小田原合戦で戦国大名としての北条氏が滅び、家康が関東へ移封となると、ドラマでも描かれたように、忠世は相模小田原城(神奈川県小田原市)を与えられ、四万五千石を領する大名となりました。

これは、板垣李光人さん演じる井伊直政、山田裕貴さんが演じる本多忠勝、杉野遙亮さん演じる榊原康政に次ぐ、四番目の領地高となります。

弟の忠佐も上総国茂原(千葉県茂原市)に五千石(のちに二万石)、忠世の嫡男・大久保忠隣も武蔵国羽生(埼玉県羽生市)に二万石の所領が与えられました。

これだけの采地が与えられた一族は、徳川一族を除けば、大久保一族だけといいます(菊地浩之『徳川家臣団の系図』)。

忠世は4年後の文禄3年(1594)に、小田原城にて、63歳で死去します。
今後、ドラマで忠世の姿が見られないのは、とても寂しいですね。

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