【青木さやかさん】「亡くなる前の3カ月で嫌いだった母とようやく仲直りできた」[前編]
嫌いな母が末期がんに。ようやく仲直りを決意
大学卒業後、ローカル局の番組などでフリーアナウンサーとして活動した後、26歳で上京。母とは物理的な距離も遠くなった。
「離れて暮らせば自分がラクになるかも、母に感謝できるかもと思ったんですけど、まったくそんなことはなかった。親の話題って、どこにいても誰といても出てくるんですよね。『うちの親はこうなんだよね』『うちなんて~』って。そのつど、母を思い出して苦しくなる。テレビなどで仲のいい親子を見ると何となく嫌になる。離れても『母が嫌い』が消えることはありませんでした」
2007年に結婚し、2010年に長女を出産。産後1週間で自宅に帰る日、久しぶりに母に会った。
「それまで母のことは嫌いでしたけれど、自然と仲直りできるものだ、嫌いという思いはいつか自分の中でとけていくものだと思っていました。それに一番期待したのが、自分が親になったとき。自分が親になれば、親に感謝できるはずだと思っていたんです。でも、生まれたばかりの娘を抱いている母を見たとき、私の中から出てきたのは、『自分の大事なものに触らないでほしい』という思い。この感情は自然にとけていくようなものではないくらい根深いんだなと痛感しました」
もちろん青木さんとて、この親子の確執を放置してきたわけではない。どうにか解決しようと、自分なりにあれこれ手を尽くしてきた。
「上京して物理的に距離をとったり、友達と母親のことを愚痴り合ったり、新しく家族をつくったり。テレビで『嫌いだー!』と叫んでみたことも。何十年もずーっと母親との関係の悩みから抜け出したくて、いろんなことをやってきたけれど、どうにもこうにも解決しないままきちゃったんですよね」
2019年、その母が末期がんでホスピスに入った。あんなに嫌悪していた母がいなくなる––––。
「母が死ぬのかと思うと、自分の一部がなくなってしまうようで苦しく感じました。そんなとき動物愛護活動をしている友人から、『お母さんと仲直りしておいで。これが最後のチャンスだよ』と言われたんです。私が『そんなこと、もう何十年も頭ではわかっている。でも心がついていかないんです』と答えたら、友人は『親孝行っていうのは道理なんだ』『親子関係は人間関係の基本。そこを解決すると自分がラクになるから、自分のためにやってみたらいいよ』と言ってくれました。その言葉に背中を押されて、母のいるホスピスに通うことを決めました」
思い出のスナップ
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取材・文/本木頼子
※この記事は「ゆうゆう」2023年12月号(主婦の友社)の内容をWEB掲載のために再編集しています。
※この記事は2025年11月20日に文章構成を変更しました。
