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【宮川大助・花子】「問題は夜間のトイレでした」寝たきり同然の花子に放った大助の渾身の下ネタとは?

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ゆうゆうtime編集部

完治しない病気の妻を老老介護で懸命に支える“なにわ介護男子”。宮川大助・花子さんの夫婦のエッセイが話題です。笑いのプロのふたりだから、大変な闘病も介護も笑いに変えてしまいます。新刊『なにわ介護男子』から一部を抜粋して、5回にわたりご紹介しましょう。第2回は、2023年11月、放射線治療で入院・退院した当時、大助さんの介護が本格デビューとなった話です。

▼前回はコチラ▼
心肺停止寸前から回復。面会禁止のICUの宮川花子に大助が伝言した衝撃のメッセージとは?

宮川花子さんは2018年に突然余命半年と宣告され、2019年には多発性骨髄腫の診断を受けて記者会見。いったんは寛解しました。

新刊『なにわ介護男子』には、その9カ月後に再発した多発性骨髄腫と次から次へと起こる新たな症状との不屈の闘い、それを愛情深く支え続ける大助さんの老老介護が何一つ隠すことなくつづられています。

2023年9月には形質細胞腫が見つかり、放射線治療のため入院。当時の様子を、書籍から抜粋して紹介しましょう。

著者紹介
宮川大助・花子

夫婦漫才の第一人者。大助は1949年10月3日、鳥取県生まれ。会社員を経て、浪曲漫才の宮川左近に弟子入り。ガードマンの仕事をしながら100本の漫才台本を書く。漫才ではネタ作りとツッコミ担当。花子は54年8月28日、大阪府生まれ。大阪府警に入庁後、チャンバラトリオに弟子入り。漫才ではボケ担当。76年に結婚、79年にコンビ結成。87年上方漫才大賞の大賞 受賞。2011年文化庁芸術選奨 文部科学大臣賞 大衆芸能部門、17年紫綬褒章。19年12月、花子が自らのがんを公表。2023年5月に大阪・なんばグランド花月に復帰。徐々にステージやテレビ、ラジオ出演を増やしている。著書に『あわてず、あせらず、あきらめず』(主婦の友社)ほか。

なにわ介護男子、本格デビュー

放射線治療で入院していた2023年11月の話です。

このとき、じつは想像もしなかった新たな症状に苦しんでいました。退院を目前にして右足がまったく動かなくなったのです。

この後、MRI検査を3回受けることになるんですが、脳にも首にもまったく異常は見つからず。じつは、いまだに原因はわかっていません。

しかし現に、右足はまったく動かなくなっているため、寝たきり同然。入院するまでは一人でトイレにもお風呂にも行けていたのに、それすらできなくなってしまったのです。

退院を控えて、一番の難題は夜間のトイレでした。

バルーンカテーテル(医療用の管を尿道から膀胱まで通して入れたままの状態にし、尿を膀胱にためずに畜尿袋と呼ばれる袋の中にためる仕組み)を使おうということになったのですが、問題は、誰が管を尿道に挿入するかです。

先生と看護師さんが病室で
「月水金に来てくれる訪問看護師にお願いするのはどうでしょう」
「うん、それが一番いいかもしれない」
などと真剣に話し合っていたときです。

「僕、やりましょか」

どこからか聞き慣れた声がするなと思ったら、大助くんがあの顔で手を挙げているじゃありませんか。

先生も看護師さんも驚いて、「えっ? ほんまですか」 と。まさか夫の大助くんが立候補するとは思わなかったんでしょうね。

でも、大助くんが至って本気な表情なのを見て、病院と自宅で看護師さんの指導のもと練習してみることになったんです。

そしたら大助くんの上手なこと! ひと通りやり方を教わったら、管を手にして「ほな、いくで」と言うと、一発で尿道に スッ!「えっ? もうできたん?」と私がびっくりしたくらいです。

看護師さんも「初めは皆さん怖がるのに、大助さんには迷いがない」と絶賛。みんながあまりにほめるので、気をよくしたんでしょう。大助くん、「いやあ、もう長いことお世話になったとこですから」。

渾身の下ネタです。
でも、誰も笑いません。

皆さん、聞こえなかったふりをしてスルーです。それがよけいにおかしくて、私は心の中で爆笑していました。

30年前だったら、こんなこと絶対に言えなかったですもん。この年になったからこそ、サラッと言えるんです。さすが大助くん。いつか必ず漫才のネタにしようと思いました。

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