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「心肺停止寸前から奇跡の回復!」面会禁止の宮川花子に大助が伝言した衝撃のメッセージとは?

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ゆうゆうtime編集部

完治しない病気の妻を老老介護で懸命に支える“なにわ介護男子”。宮川大助・花子さんの夫婦のエッセイが話題です。笑いのプロのふたりだから、大変な闘病も介護も笑いに変えてしまいます。新刊『なにわ介護男子』から一部を抜粋して、5回にわたりご紹介しましょう。第1回は、2022年10月、花子さんが心肺停止寸前で病院に運ばれたときの話です。

▼第2回はコチラ▼
【宮川大助・花子】「問題は夜間のトイレでした」寝たきり同然の花子に放った大助の渾身の下ネタとは?

宮川花子さんは2018年に突然余命半年と宣告され、2019年には多発性骨髄腫の診断を受けて記者会見。いったんは寛解しました。

新刊『なにわ介護男子』には、その9カ月後に再発した多発性骨髄腫と次から次へと起こる新たな症状との不屈の闘い、それを愛情深く支え続ける大助さんの老老介護が何一つ隠すことなくつづられています。

2022年10月、心肺停止寸前・意識不明の状態で病院へ運び込まれたことがきっかけで、お二人は新たな決意をします。
このとき、病院に運び込まれた前後の様子を、書籍から抜粋して紹介しましょう。

著者紹介
宮川大助・花子

夫婦漫才の第一人者。大助は1949年10月3日、鳥取県生まれ。会社員を経て、浪曲漫才の宮川左近に弟子入り。ガードマンの仕事をしながら100本の漫才台本を書く。漫才ではネタ作りとツッコミ担当。花子は54年8月28日、大阪府生まれ。大阪府警に入庁後、チャンバラトリオに弟子入り。漫才ではボケ担当。76年に結婚、79年にコンビ結成。87年上方漫才大賞の大賞 受賞。2011年文化庁芸術選奨 文部科学大臣賞 大衆芸能部門、17年紫綬褒章。19年12月、花子が自らのがんを公表。2023年5月に大阪・なんばグランド花月に復帰。徐々にステージやテレビ、ラジオ出演を増やしている。著書に『あわてず、あせらず、あきらめず』(主婦の友社)ほか。

心肺停止寸前。「花子、がんばれ!」

少し先の自分を待っていたのは、「平穏」とは真逆の日々でした。

2022年10月29日のこと。ベッドに横になっていると、ものすごく胸が苦しいんです。大助くんに頼んで車椅子に乗せてもらいました。

不思議なことにストーブの前に座っていると、胸が少しスーッとして「あれ? 大丈夫かな」と。理屈はわかりませんが、空気が温もってスチーム状になり、吸い込みやすくなるんでしょうか。

でも、またベッドに横になると苦しい。耐えられないくらい苦しい。

まったく息ができず、海の底で溺れ死にしそうな感じです。私が呼吸困難に陥っている様子を見て、大助くんが「これは、あかん」と慌てて救急車を呼んでくれました。

救急車に乗るなんて初めてのことです。救急隊員の方々が家に来たところまではわかっていましたが、それからの記憶はまったくありません。

のちに聞いた話だと、一緒に乗り込んだ大助くんは、私の手をギューッと握り、「花子、がんばれ! 花子、がんばれ!」と大声で励まし続けていたそうです。その声が救急車のスピーカーから外にガンガン響いていたというんですから、えらいことです。

折しも、統一地方選挙に向けた選挙活動の真っ最中。私が立候補していると勘違いした人もいたんでしょう。開票してみたら「宮川花子」に3票入っていたそうです(笑)。

というのは、のちに作った漫才のネタですが、大助くんが叫んだのはほんまの話。嫁が抗がん剤の副作用で肺に水がたまり、死にかけていたんですから、動転するのも無理はありません。

奈良県立医科大学附属病院に担ぎ込まれたときは心肺停止寸前・意識不明という、これ以上ないほど深刻な状態でした。

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