『源氏物語』のあらすじをわかりやすく解説 「光る君」の恋愛遍歴と栄華、その翳りとは?
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鷹橋 忍
まひろが綴るものがたりとは、どんなストーリーなの? NHK大河ドラマ「光る君へ」を見て『源氏物語』に興味をもった方は、少なくないことでしょう。現存の『源氏物語』は54巻あります。作家 鷹橋 忍さんに、そのあらすじをわかりやすく教えてもらいましょう。ここでは、三部に分けられるうちの、一部と二部について。
↓↓【後編】第三部はこちら「光る君」の子どもと孫の物語とは? 源氏物語のあらすじをわかりやすく解説
源氏物語
『源氏物語』は、絶世の美男子で、才能溢れる光源氏の生涯と恋愛を中心に描いた大長編です。
「いづれの御時にか(いつの御代のことだったろうか)」という有名な冒頭で幕を開けますが、紫式部の時代から数十年遡った、醍醐天皇(885~930/在位897~930)や村上天皇(926~967/在位946~967)が治めた時代をふまえて書かれているといわれています。
現存の『源氏物語』は、五十四帖(五十四巻)からなり、一般に以下の三部に分けて理解されています。
【第一部】主人公・光源氏の誕生と栄華 光源氏 1歳~39歳
(一帖「桐壺」~三十三帖「藤裏葉」まで)
【第二部】 光源氏の晩年 光源氏 光源氏39歳~52歳
(三十四帖「若菜上」~四十一帖「幻」まで)
【第三部】光源氏の子孫たちの物語 薫 14歳~28歳
(四十二帖「匂宮」~五十四帖「夢浮橋」)
では、簡単に各部の内容を見ていきましょう。
第一部は、光源氏の栄華と恋愛遍歴
光源氏は、時の帝・桐壺の第二皇子です。
母は桐壺更衣といい、大変に美しく桐壺帝の寵愛を一身に受けましたが、光源氏が3歳の時に亡くなってしまいます。
桐壺帝は眉目秀麗な光源氏を東宮(皇太子)とし、いずれ帝の地位を譲りたいと思いましたが、高麗人の人相見に、「帝位に就けば、国が乱れる」と予言され、「源氏」姓を与えて臣籍降下させています。
桐壺帝は、桐壺更衣によく似た藤壺を妃に迎えました。
光源氏は5歳しか離れていない継母の藤壺に恋心を抱くようになりますが、12歳の年に、左大臣の娘・葵の上と結婚します。
葵の上はのちに、六条御息所の生き霊に苦しめられながら光源氏の長男・夕霧を産みますが、亡くなってしまいます。
18歳の年に、藤壺によく似た10歳の紫の上(藤壺の姪)に出会うと、強引に引き取り、藤壺の身代わりとして、愛育しました。ドラマで中宮彰子は、この紫の上に自分を重ねていましたね。
同じ頃、光源氏は藤壺と密通し、藤壺は懐妊。光源氏に瓜二つの不義の子(冷泉)を産みます。
ですが、桐壺帝は自分の子と信じて疑いません。光源氏が20歳の年、桐壺帝は朱雀院(光源氏の異母兄)に譲位し、冷泉院が東宮(皇太子)となります。
光源氏も藤壺も罪悪感に苦しみ、桐壺院が崩御すると、藤壺は出家してしまいます。
父・桐壺院の没後、政争に巻き込まれた光源氏は、紫の上を京に残し、自ら須磨(兵庫県)の地に退居しました。
この悲劇を描いた十二帖「須磨」と、その続きである十三帖「明石」は人気の高い場面です。
光源氏は、明石の入道から明石(兵庫県)に迎えられ、入道の娘・明石の君と結ばれました。のちに明石の君は光源氏の娘を産み、紫の上が養母となります。
光源氏は2年後に召還され、京に戻りました。
29歳の年の2月、朱雀帝が譲位し、冷泉帝が即位します。
光源氏は権勢を取り戻すも、32歳の年、藤壺が37歳でこの世を去りました。
冷泉帝は藤壺の僧から、光源氏が実父であることを知らされます。父を臣下に置いていたことを心苦しく思った冷泉帝は、光源氏に譲位しようとしましたが、光源氏は拒みました。
やがて、光源氏は准太上天皇(上皇と同等の位)の位を授かり、六条院という大邸宅を築き、栄華を極めます。
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