【渡辺えりさん】月9500円の家賃すら滞納していた日々…生きる支えとなった言葉とは?
悩んだり、迷ったり、くじけそうになったとき、誰かの言葉で前向きになれた経験はありませんか? ここでは各界で長年活躍する著名人に、前を向く力をもらった大切な言葉を伺いました。今回は、女優・演出家・劇作家の渡辺えりさんです。
上沼恵美子さんを支えた言葉
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夢見ることさえ苦しい日々、演劇が私を救ってくれた
渡辺えりさんには、サインを求められると必ず書く言葉がある。それが「夢見る力」。今でこそ実力派俳優としてテレビに映画に大活躍だが、18歳からの10年間は、夢見ることさえ苦しい日々だった。
「高校時代は演劇部の活動にのめり込んで、夜10時に家に帰るような生活でした。卒業後は東京の演劇学校に通って本格的に演劇を学ぼうとしたのですが……全然思うようにならないんです。だって私、料理も洗濯も掃除もまったくできなくて、『掃除しないとホコリがたまるんだ!』ってことさえ知らなかった。お金がないからアルバイトもかけもち。夢を見るにも力が必要なんだ、と思い知らされました」
苦しくても何とかやり遂げようと思えたのは、両親のおかげだ。
「2人とも私の上京に大反対していたのに、母は毎月米や缶詰を送ってくれたし、父は毎日はがきをくれました。そのはがきは段ボール3箱分。今でも大切に取ってあります」
23歳で劇団を立ち上げてからは、夜遅くまで仲間たちと激論を交わした。終電がなくなると、渡辺さんの6畳の部屋に15人が雑魚寝。お金がなさすぎて、月9500円の家賃も滞納していたそうだ。潮目が変わったのは、NHKの連続テレビ小説「おしん」に出演してからだ。
「私の一回のギャラは5000円でした。そのお金でたまっていた家賃を払ったときは、本当にうれしかった。それでもまだおでん屋さんやバーでアルバイトをしていました。あきらめないでいられたのは、夢見る力のおかげです」
渡辺さんはなぜそこまで演劇にこだわったのだろう。
「私は絵を描くのも、文章を書くのも、歌もデザインも大好き。演劇には私の好きなものがぜんぶ詰まっているんです。それにね、私みたいに生きるのが下手な人間にとって、演劇や映画は救いです。現実があまりに過酷で、生きるのがつらいときにも夢を見させてくれますから」
「夢見る力」
20歳のときに渡辺さん自身が考えた言葉。「演劇でプロになる夢を抱えて上京したのに思うようにいかず、夢を見るにも力がいるんだと実感しました」。今も大切な言葉で、渡辺さんのブログのタイトルにもなっている