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2025年大河ドラマ【べらぼう】横浜流星が演じる「蔦屋重三郎」って、何をした人?

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鷹橋 忍

2025年大河ドラマ【べらぼう】横浜流星が演じる「蔦屋重三郎」って、何をした人?

大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」©️NHK

2025NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめものがたり)〜』。主人公・蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)とは果たしてどんな人物なのでしょう? 戦国武将や城、水軍などに詳しい作家・鷹橋 忍さんに、わかりやすく解説していただきました。2025年1月17日(金)からは、当時の文化や時代背景、登場人物について鷹橋さんが深掘りし、ドラマを見るのがもっと楽しくなるような記事を隔週でお届けします。

NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』の放送が、2025年1月5日(日)から開始されます。人気俳優の横浜流星さんが主人公・蔦屋重三郎を演じることもあり、楽しみにしていらっしゃる方も多いと思います。同時に、「蔦屋重三郎って、何をした人なの?」という方も少なくないようです。そこで今回は予告編として、蔦屋重三郎と彼の生まれ育った吉原を、簡単にご紹介したいと思います。

名エディターにして、希代のプロデューサー、江戸のメディア王【蔦屋重三郎】

蔦屋重三郎は「蔦重(つたじゅう)」と称されます。この略称は、江戸時代当時から使われていたといいます。ここでも蔦重と呼びましょう。

蔦重は、天明~寛政期(1781~1801)に活躍した、希代の「版元(板元)」です。版元とは、現代でいうと出版社(出版者)にあたり、江戸時代では書店としての役割も兼ねるのが一般的でした。つまり、出版物の企画や制作、編集はもちろんのこと、宣伝や販売もすべてこなすことになります。

蔦重は時代の流れをいち早くつかむ能力に長けており、挿絵をふんだんに使った大人向きの小説である「黄表紙(きびょうし)」などで、ヒット作を連発していきます。狂歌ブームが訪れると、狂歌本や狂歌絵本をプロデュースするなど、江戸のカルチャーを牽引しました。

また、蔦重は、染谷将太さんが演じる喜多川歌麿(きたがわうたまろ)や東洲斎写楽(とうしゅうさいしゃらく)など、無名の浮世絵師を見出し、プロデュースして、世に送り出したことでも有名です。

「冨嶽(ふがく)三十六景」シリーズで知られる葛飾北斎(かつしかほくさい)も、勝川春朗(かつかわしゅんろう)と名乗っていた若き日に、蔦重の元から役者絵や、美人画などを出しています。

蔦重は、『南総里見八犬伝』の作者・曲亭馬琴(きょくていばきん)と、『東海道中膝栗毛』の作者・十返舎一九(じっぺんしゃいっく)を寄食させています。『南総里見八犬伝』も『東海道中膝栗毛』もプロデュースすることなく、蔦重は亡くなってしまいますが、才能を見抜く力も、べらぼうに優れていたのでしょう。

蔦重の生涯は?

次は、蔦重の生涯を駆け足で辿ってみましょう。

蔦重は寛延3年(1750)正月7日、江戸の吉原(新吉原/現在の東京都台東区千束辺り)に生まれました。時の将軍は、九代・徳川家重です。

蔦重の父は丸山重助(じゅうすけ)、母は広瀬津与(つよ)といいます。数えで7歳の頃に両親が離別しますが(車浮代『蔦屋重三郎と江戸文化を創った13人 歌麿にも写楽にも仕掛人がいた!』)、蔦重は吉原に残り、喜多川氏が経営する茶屋「蔦屋」の養子に入りました。

蔦重は安永元年(1772)、23歳のとき、吉原の入口に「耕書堂(こうしょどう)」という書店を開店したとされます(安藤優一郎『蔦屋重三郎と田沼時代の謎』)。江戸時代の書店は貸本も行なうのが常でしたので、耕書堂も貸本業を兼ねていたと思われます(鈴木俊幸『蔦屋重三郎』)。

この頃は、眞島秀和さんが演じる十代将軍・徳川家治の治世で、幕政は渡辺謙さんが演じる老中(ろうじゅう)・田沼意次(おきつぐ)が主導していました。田沼意次は、八代将軍・徳川吉宗の時代の質素倹約を改め、さまざまな経済政策を行ない、自由な雰囲気の中、経済が発展し、江戸文化が花開いていきます。

そういった時流に乗り、蔦重はその後、日本橋通油町(とおりあぶらちょう)に進出。一代で江戸のメディア王へと駆け上がっていきます。ところが、天明7年(1787)、前年に失脚した田沼意次に代わって、寺田心さんが演じる松平定信が老中に就任。有名な「寛政の改革」が始まると出版統制に遭い、蔦重は一説に財産を半分没収されたといいます。

蔦重は危機を乗り越えますが、寛政9年(1797)に48歳で病没しました。脚気を患っていたようです。

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