【林家ペー・パー子さん】夫婦になる前から持論としている言葉とは?
師匠に気に入られて「俺の書生になれ」
その初代三平師匠が常に口にしていたのは、「芸は人なり」。6年ついている間、毎日聞いた言葉だ。
「芸をやる主体は人間ですからね。芸にはその人がすべて表れてしまう。師匠三平は当時ものすごい人気で、どんどん仕事があったけれども、大きな舞台だけじゃなく、呼ばれたら盆踊りの余興の仕事も引き受ける。人柄がよくてね、僕6年ついていて、その間、師匠の悪口言う人、誰もいなかったです。素晴らしいですね。あの師匠の姿を思い出すと、この言葉の重みが改めて思われるんです」
多くの弟子が入門する中、辞めていく人間もまた少なくなかった。そんな中、ぺーさんだけはずっと師匠についていて、果ては「おまえは俺の書生になれ」と言われてしまった。
「驚くでしょ? 書生って何するのよ、漱石の時代じゃないんだし(笑)」
とぺーさんが苦笑すると、パー子さんが、こうつけ加えた。
「お兄ちゃん(ぺーさんのこと)は、知識がすごくあるから、何の話でもできるじゃないですか。だから弟子というよりブレーンだったの。それでもう師匠が気に入っちゃって」
「芸は人なり」
芸を生み出すのは人だ。人として律していなければ芸もそれなりになる、という師匠・初代林家三平の教え。人としての生き方がすべて芸に表れるのだということを、この言葉を地で行く師匠自身の生き方から学んだ。
しかし、6年で独立。72年にはパー子さんと結婚してその後の活躍は多くの知るところだ。ぺーさんの漫談は、その該博な知識があふれ出し、話題が広がっていく。著名人の誕生日を暗記して披露する持ちネタも人気だ。
自身はその芸風を「余談ですが」と自嘲ぎみに言うが、放送作家の高田文夫先生にも「あんたの芸は余談でいい」と太鼓判をもらった。今は「余談」と胸にプリントされた衣装を着て「余談漫談」を披露している。
「師匠は『芸人は可愛くやればいいんだ』と常々言っていました。僕ら寄席では色モンですけど、このまま末席を汚してやっていければ、それがありがたいかなと思っています」
「余談ですが」
幅広い知識と驚異的な記憶力で話が広がっていくぺーさんの芸風。「余談漫談」と半ば自嘲ぎみに本人は言うが、師匠からはブレーンとして頼りにされ、高田文夫さんからも評価を得た。遠慮がちな言葉にぺーさんの人柄がにじむ。
PROFILE
林家ペー・パー子 漫談家、落語家
はやしや・ぺー●大阪府生まれ。1964年に初代林家三平に入門する。漫談家として落語協会に所属。該博な知識による漫談、ネタが人気。
はやしや・ぱーこ●東京都生まれ。68年に初代林家三平に入門。明るいキャラクターと笑い声で幅広い世代から人気を得ている。
取材・文/志賀佳織
※この記事は「ゆうゆう」2025年2月号(主婦の友社)の内容をWEB掲載のために再編集しています。
▼あわせて読みたい▼
>>【榊原郁恵さん】渡辺徹さんが亡くなる直前に贈ってくれた言葉が今、生きる支えに! >>裏切りにあってどん底にいた【上沼恵美子さん】を再び立ち上がらせてくれた言葉とは? >>【渡辺えりさん】月9500円の家賃すら滞納していた日々…生きる支えとなった言葉とは?