【林家ペー・パー子さん】夫婦になる前から持論としている言葉とは?
悩んだり、迷ったり、くじけそうになったとき、誰かの言葉で前向きになれた経験はありませんか? ここでは各界で長年活躍する著名人に、前を向く力をもらった大切な言葉を伺いました。今回は、漫談家・落語家の林家ペー・パー子さんです。
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ぺーさんの幅広い知識と驚異的な記憶力から繰り出される洒脱な芸。そして、特徴的な高い笑い声で一瞬にしてその場を笑いの渦に巻き込むパー子さんの明るいキャラクター。長年にわたって私たちを楽しませ続けてくれている林家ぺーさん、パー子さんだが、実はコンビではない。ともに初代林家三平門下だが、この世界に入った時期も経緯も異なる。
ぺーさんは1964年、東京オリンピックの真っ最中に、有楽町の落語会で師匠の芸に初めて出合った。
「いろんな芸人が出た最後にうちの師匠が出てきて『正月になったら車と車がぶつかってガンタン!』なんてやっているのを見て、これも落語? これなら俺もできるって思ったのが弟子になったきっかけです」
そこから70年まで6年間、弟子として師匠の仕事先についていて前座を務めるようにもなっていった。
一方パー子さんは、もともと演歌歌手志望で、作詞家の石坂まさを門下にいたところ、たまたま師匠に連れられて訪ねた三平宅で、夫人の海老名香葉子さんにスカウトされた。
「あなた明るくていい。周りがパーッとなって華やぐからパー子さんね」
芸名もその場で決まってしまった。
「その後、夫婦になったので一緒に仕事をしてきましたけど、持論としているのが『長生きも芸のうち』なんです。『無事之名馬』とも言うかな。この年までずーっとやれていることがありがたいなと思う。これはね、やっぱり師匠と女将さんに感謝なんですよ。ぺーとパー子と名づけてもらったおかげで、『ペーパー』として親しまれて、その語呂と遊び心でどれだけ仕事をいただけてきたか。目指すところは、このまま大過なく、業界を浮遊する存在でありたいっていうこと。ペーパーだけに軽いからね」
ぺーさんの言葉にパー子さんが「キャーッ! アハハハハ!」と笑う。
「神(かみ)対応で100歳まで現役でやりますよ。ペーパー(かみ)だけに(笑)」
「キャーッ! 面白い! アハハ」
「長生きも芸のうち」
特別な金字塔を打ち立てなくても、スマッシュヒットを放たなくても、いちばん大事なのは「息の長い芸人」になること。いつも心に留めている夫婦の持論だ。「無事之名馬」の精神で一日でも長く続けていくことを志している。