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70代で天職に出合った77歳女性。59歳で整体師→71歳で画家に【人生100年時代の働き方白書】

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ゆうゆう編集部

71歳のときマーカーペンを拾ったことをきっかけに、まったく縁のなかったアートの世界へ導かれた杉山憲子さん。画家という天職を得るまでの紆余曲折を語ってもらいました。

▼前編はこちら▼

>> 70代で天職に出会った77歳女性の、紆余曲折の経歴とは?【人生100年時代の働き方白書】

PROFILE
杉山憲子さん リボーンアーティスト、整体師

すぎやま・のりこ●1947年青森県生まれ。
結婚を機に転居した埼玉県で3人の息子を育て上げる。
50代で離婚を決意。離婚後、岩手県で整体院を開業。
71歳で画家としての活動も始め、国内外の展覧会で入選・入賞を果たしている。

1円も受け取らずに離婚。整体師の道へ

「離婚の理由は人生観の違いです。3人の息子が自立するまで、毎日を精いっぱい過ごしてきましたが、50代で自分を見つめ直し、夫との人生観の違いに気づかされたんです。この先、ともに暮らしていけるのかと自分への問いかけが始まり、とても苦しい毎日でした」

離婚を申し出た杉山さんは数々の抵抗を受け、離婚が成立しないまま当時暮らしていた埼玉県の家を出る。向かった先は、現在も暮らす岩手県盛岡市。幼い頃、姉妹のように育てられた3歳年下の従妹が住む街だった。

「彼女は家庭が複雑で病弱でもあったのだけど、常々、こんなに魂がきれいな人はいるのだろうかと私に思わせる人でした。その彼女が、自分のお世話になっている整体師さんを「指導もできるいい先生だから」と紹介してくれて。私は習ってきたことを彼女の体で復習しながら資格取得を目指しました。『だめ、憲子さん、今の治療では300円だよ』と言われながらしごかれて(笑)」

当時はまだ離婚交渉中。元夫から1円も受け取らないと腹をくくった杉山さんにとって、収入を得られる仕事を得るのは急務だった。料理が好きで、実は飲食店を開くという考えもあったとか。

「でもそれは従妹の大反対に遭ったんです。『憲子さんは絶対材料にこだわるから、赤字しか出さない』って(笑)。幼い頃、病気の父親を母と私と妹の3人でマッサージすると、父が『この手は誰だ?』と決まって私のマッサージをほめてくれたんです。どこかに、食べていくにはこれしかないという思いがあったんでしょうね。病弱な従妹を薬なしで元気にしたい、彼女から生き方を学びたいという気持ちも背中を押しました」

持ち前の集中力と従妹の協力のおかげで、盛岡市へ移住して1年後の59歳で整体師の資格を取得。整体師としてのキャリアをスタートさせ、若い頃の私塾やエレクトーン教室を彷彿させるような「来てよかった」「心も元気になれた」と、口々に言ってもらえる整体院に育てていった。

きっかけはゴミ置き場で拾った48色のマーカーペン

そして71歳のとき、まったく縁のなかったアートへと杉山さんを導く出来事が起こる。自宅近くのゴミ置き場で、まだきれいな48色のマーカーペンを見つけたのだ。「絵が好きな人にあげたいな。でも、ちゃんと色が出るだろうか」と持ち帰ってササッと描いた絵が知人の目に留まり、「正式に作品を描いてみて。それを県の芸術祭へ出品して」と強くすすめられる。

「半信半疑で出品することにしたけれど、整体院の電話番もあるし、車はないし、画材を調達しに行けません。そこで、母の古い帯をキャンバス代わりに、拾ったマーカーペンと家にあったカチカチの水彩絵の具をとかしたもので2枚の絵を描いてみました」

運命を変えた48色のマーカーペン

「もったいなくて、絵の好きな人に譲りたいなと思って」。杉山さんがゴミ置き場で拾ったペンの実物。

試し描きのつもりで描いた記念すべき作品

拾ったペンで気の向くままに描いた初作品。これを見た知人が杉山さんに展覧会への出品を熱心にすすめた。

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