「フィンガー5」結成前夜の秘話。兄弟の窮地を救った大御所ミュージシャンとは?【晃さんのターニングポイント#1】
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植田晴美
デビューはしたものの、 「自分たちのやりたい音楽とは違う!?」
——その後、昭和45年にベイビーブラザーズという名前で、レコードデビューされました。
最初のレコード会社がわりと硬いレーベルで、「子どもが歌うんだから、子ども向けの曲がいいだろう」「子どもは童謡でも歌っていればいい」という考え。
でもボクは洋楽が好きで、もともとリズム&ブルースを聞いたり歌ったりしてきたので、「あれ? やらされようとしていること、思っていたのとちょっと違うな」と。全然燃えないんですよ。だから正直、「それなりにやっておくか」みたいな感じでしたね。
——レコードデビューというのは、人生初の大きな転機ですよね?
そうですよね。でももう時効だから言っちゃいますけど、当時のディレクターさんたちって、洋楽を聞いてないんですよ。日本の音楽シーンではグループサウンズの時代があって、そこからの流れの中に彼らはいるわけ。
でも沖縄で暮らしていたボクたちは、グループサウンズなんて聞いたことがない。聞くのは、ほぼ洋楽なわけです。沖縄には当時テレビ局が2つしかなくて1つはNHKでもう1つはアメリカ兵もよく見るような番組を流している。ラジオをつけてもアメリカ兵向けの番組が多い。
そういうところで育ってきたボクらがやりたいことを、レコード会社の人たちには全然わかってもらえなかった。
だから東京のレコード会社って、こんなものかと。最初の出会いはよくなかったですね。もちろんちゃんと洋楽を聞いている人もいたんでしょうけど。
——デビュー曲は売れたのでしょうか?
いや全然! 歌っているボクらだって「なんだこりゃ」って思いながら、やっているわけですから。