「フィンガー5」結成前夜の秘話。兄弟の窮地を救った大御所ミュージシャンとは?【晃さんのターニングポイント#1】
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植田晴美
「フィンガー5」のあの大ヒット曲、今でもふと口ずさんでいませんか? 70年代に日本中を熱狂させたスーパーアイドル、フィンガー5。夢中になったあの頃を思い出しますね——。時を経て、メインボーカル 晃(あきら)さんに、当時の熱狂、家族グループとしての葛藤、そして現在の音楽活動までを語っていただきました。第1回は、フィンガー5結成前夜の秘話。
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——晃さんが、どういう経緯で歌手になったのか、デビュー前後あたりのお話をうかがえますか?
ボクは6人きょうだいなんですけど、兄3人がバンドをやっていたんです。ベンチャーズみたいなインストゥルメンタルバンドでしたが、沖縄ではすごい人気で。
それで、東京で一旗あげようみたいな感じで上京することになって。そのときにヴォーカルもいたほうがいいんじゃないかということで、ボクと妹の妙子がバンドに入れられたんです。
——晃さんご自身は歌手になりたいという気持ちはあったんですか?
いやあ、とくには……。歌がうまいとも思っていなかったし、当時は兄貴が「やれ」っていうから、やるっていう感じでしたね。無理やりに近いかな。
いきなりギターを渡されて、ギターの練習をしろ、歌も歌え、この曲を覚えろって洋楽のレコードを渡されて。英語なんて全然わからないから、耳で聞こえる音を必死にカナで書いて覚えて。
妹とボクはまだ子どもだったし、何が何だかわからない感じでしたよ。
——最初は米軍基地で歌っていらしたんですよね。
そうですね。沖縄でも米軍基地でやっていたんですが、兄がリードボーカルをとっていて、はじめボクは予備みたいな感じ。兄が変声期にかかってきて、ボクがリードボーカルをとり始めた。ちょうどその頃から横田基地で歌う機会が増えました。
いいものはいい、悪いものは聞かない。 ストレートな反応が励みに
——初めてリードボーカルをとったときのことを覚えていますか?
ものすごく反応がよくてびっくりしましたね。お客さんたちのキゲンがいいとバンバン、ステージにお金を投げてくれるんですよ。それで「いいね~」「歌うとお金になるんだ」とスイッチが入っちゃった。
米軍のお客さんたちって評価がわかりやすいというか、反応が極端なんです。いいものはいい、悪いものは全く聞かない。いい演奏をすればお客さんもノッてきてボクらもうれしいし、これはもうちょっと真剣にやったほうがいいなと。
それに自分たちのやりたい音楽と米軍のお客さんたちが聞きたい音楽が一致していたから、楽しかったですね。
——歌や楽器のレッスンなどはとくに受けていなかったのに、ステージでいきなりウケるなんて、やはり音楽の才能があったということでしょうか?
父が「Aサインバー」という米兵が入れる店をやっていたので、ソウルやロックが自然に流れてくる環境で育ったんですよ。だからそういう音楽が体にしみついていたんでしょうね。
今もそうですけど、ステージに立っているときは本当に楽しい。ノリのいい曲をやればお客さんは立ち上がってダンスするし、しっとりしたバラードをやればみんな泣いちゃう。
日本の子どもたちが、ステージで洋楽を演奏して、歌っている。それだけでも彼らは十分に楽しんでくれたと思いますが、時代はちょうどベトナム戦争の頃。横田基地にいたのは空軍の人で、ほぼみんなベトナムに行くんですよ。
飛行機で飛んで行っちゃったら、無事に戻ってこられるかどうかわからない。そういう極限状態の中で、しかもアメリカ本国に子どもたちを置いてきている人たちもいるわけ。
——晃さんたちの姿に、自分の子どもたちの面影を重ねる方も少なくなかったでしょうね。
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