フィンガー5の名曲『個人授業』の誕生秘話「コイツ見た目が生意気そう…!?」【晃さんのターニングポイント#2】
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植田晴美
「フィンガー5」のあの大ヒット曲、今でもふと口ずさんでいませんか? 70年代に日本中を熱狂させたスーパーアイドル、フィンガー5。夢中になったあの頃を思い出しますね——。時を経て、メインボーカル 晃(あきら)さんに、当時の熱狂、家族グループとしての葛藤、そして現在の音楽活動までを語っていただきました。第2回は、名曲『個人授業』の誕生秘話!
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「フィンガー5」結成前夜の秘話。兄弟の窮地を救った大御所ミュージシャンとは?【晃さんのターニングポイント#1】当時イケイケだった作曲家、作詞家といっしょに作りあげた作品が大ヒット
——家族みんなで沖縄に帰ろうとしていたタイミングで、フィンガー5として再デビューが決まりました。
米軍基地のステージですごく人気があったり、レコードデビューをしたりしていたものの、ボクらはまだ無名だったわけです。それでとりあえず、当時ヒット曲を連発してイケイケだった作曲家の都倉俊一さん、作詞家の阿久悠さんたちの前でオーディションをしようということになりました。
まあ、当然ですよね。子どもたちがリズム&ブルース演奏して、コーラスやっているといっても「まあ、そんなにできるわけないだろ」と思うのがふつうだから。
それでビルの一室みたいなところで1~2曲、歌ったんです。そうしたらスッと部屋からその人たちがいなくなっちゃった。しばらくして「曲が浮かんだ」って言って、部屋に戻ってきたときに渡されたのが『個人授業』でした。
——そんなに短時間で、あの大ヒット曲が生まれたんですか?
そう。一流の人って、すごいですよね。ボクの歌を聞いて、歌う姿を見て、コイツ見た目が生意気そう。この年頃の子どもは女性の先生に憧れそうっていうイメージで、あんな歌詞になったワケです。
「この曲がよくなかったら、沖縄に帰る」と思っていたので、ボクらにとっては最後のチャンス。先生方は先生方で何か新しいジャンルのものをやりたいって思っていたみたい。だからミュージシャンも高中正義さんとか有名なアーティストが入って、そういう人たちがやりたくてしょうがない音楽をバンバン持ち込んで、できあがったのが『個人授業』なんです。
——めちゃくちゃ贅沢なメンバーの才能が集結した作品だったんですね。
ボクもよく知らなくて後から聞いた話なんですけど、当時、日本ではまだ珍しい機械を使ったりしていたらしい。曲を聞いてボクも「あれ、日本の人たちもなかなかやるじゃん!」「じゃあ、歌もちょっとアレンジしちゃおうかな」とか思ったね。
都倉俊一さん、阿久悠さんというスゴイ先生たちと出会えたこと、みんなで面白いことをやろうって楽しんで『個人授業』という作品を作ったことが、ボクの人生の中で一番大きな転機だったね。