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フィンガー5の名曲『個人授業』の誕生秘話「コイツ見た目が生意気そう…!?」【晃さんのターニングポイント#2】

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植田晴美

「おまえら、ふつうのガキだよ」 天狗にならなかったのはおやじのおかげ

昔って、取材を受けると住所や電話番号まで雑誌に載っちゃうんですよ。

——プライバシーなんてゼロですね。

だから電話はじゃんじゃんかかってくる、家の前に人はむらがってる、通学路でまちぶせされたり追いかけられたり。

——そういうときは、どう対応していたんですか?

ものすごい人の数だから逃げてました(笑)。でも逃げても逃げても、走って追いかけてくる。だから足が速くなったよ! 当時ボクらが借りていた家は芋畑の中にあったので、畑の中の道をボクが走って学校に行く。そのボクのあとを集まった子たちがゾロゾロと追いかけて走ってくるんです。 

なかには驚くほど、足が速い子もいてね。当時、テレビ局からテレビ局までタクシーで移動していたんですけど、タクシーが信号で止まると、必ずその子たちが横にいる。信号が変わってタクシーが走り出すと、その子たちも走って追いかけてくる。それで信号で止まると、またタクシーの横にいる、みたいな。

——ファンの方たちも晃さんに会いたくて必死! すごいエネルギーですね。

あんまり見るとよくないから、知らんぷりしてようとか。おとなに誘拐されそうになったこともありましたよ。幸い、マネージャーがしっかりついていてくれたからよかったものの、世の中にはいろいろな人がいるなあと思いました。

——ご自身たちは、スターになって何か変わったりしなかったんですか?

今、振り返ると家族みんなで沖縄から出てきて、きょうだいでやっているのがよかったんです、ボクらは。外ではファンの子たちにワーワー騒がれても、家に帰ればおやじ、おふくろがいる。外では仕事、家に帰ればファミリーの一人。この切り分けがはっきりできたのが、よかった。

いきなり売れたりすると、世界が変わって、へんな人が寄ってきたり、天狗になったりする人もいるけれど、うちのおやじは曲がヒットしても1回もほめたことない。「たまたま歌がヒットして稼いだだけだろう。たいしたことないよ、おまえら。ふつうのガキだよ」って。それがベースにあったことがよかったなってと思いますね。

▼次回も引き続きフィンガー5時代のお話をうかがいます。▼

晃さんのターニングポイント②
もう沖縄に帰ろうとしたタイミングでフィンガー5のデビューが決まった。「都倉俊一さん、阿久悠さんというスゴイ先生たちと出会えたこと、みんなで面白いことをやろうって楽しんで『個人授業』という作品を作ったことが、ボクの人生の中で一番大きな転機だったね」

晃さん Profile

あきら●1961年5月9日生まれ。1969年沖縄から上京。1970年兄弟5人“ベイビーブラザース”でデビュー。その後“フィンガー5”に改名。1973年、『個人授業』が爆発的な大ヒットとなり、レコードセールス145万枚突破。『恋のダイヤル6700』『学園天国』と3曲続けて100万枚突破のミリオンセールスを記録し一世を風靡する。その後メンバーの入れ替えやグループの解散等で芸能活動を休止。サラリーマンとして会社勤めの経験を経て2002年より音楽活動を本格的に再開。定期的なライブ活動のほか、TV、ラジオ出演、『夢スター歌謡祭 春・秋』コンサート全国ツアー出演中。

撮影/柴田和宣

▼次回はこちら▼

>>何度も倒れて救急車で運ばれて…「フィンガー5」が一世を風靡した舞台裏は?【晃さんのターニングポイント#3】

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