「本当は沢田をいれたくなかった…」その理由とは!?ザ・タイガース結成までの意外な物語【79歳・瞳みのるさんのターニングポイント#1】
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藤岡眞澄
ほかの4人はあんまり動かないタイプ(笑)
——瞳さんはいちばん奥まったポジションのドラムスですね。
これは、身体的な理由です。義理の母にほったらかしにされていたし、姉や兄も僕に構っていられないし、自分は自分で稼がなきゃいけないしで、気が付いたら手足のしもやけがひどくなっていたんです。特に、左手の小指は、いまでも曲がってまっすぐに伸ばせない。
高校時代、ハワイアンにはまった兄にウクレレを教わったら、左手でうまく弦を押さえられないことに気がついて、ギターは諦めました。幸い、他に誰もドラムスをやりたいメンバーがいなかったので。
——でも、「ザ・タイガース」時代にテレビカメラに抜かれる瞳さんのドラム・アクションは格好良くて素敵でした。
たまに抜かれるから、いいってこともあります。でも、せっかくだから奥でも目立つよう派手に。「ザ・スパイダース」の田辺昭知(さん)のドラムスはきれいで格好よくて、憧れました。
ただ、ドラムスって肉体労働なんです。
「ザ・タイガース」でドラムしか叩かなかったときは、「沢田は大変だな」と思っていたんです。でも、いま、自分のバンド(「瞳みのる&二十二世紀バンド」)でドラムを叩いて歌を歌ってみたら、「なんだ、沢田は楽していたんだな」と思います(笑)。
——結局、「ファニーズ」デビューに向けていちばん奔走したのが、瞳さんだったと思います。
京都のジャズ喫茶には、「箱バン」と言う専属のバンドみたいのがいて、そこに割り込んでいくのはむずかしい。だったら大阪で新規参入を目指そうと、僕がひとり先遣で大阪に行きました。
——それから、大阪のジャズ喫茶「ナンバ一番」に出られるようになって、スカウトの目に留まり始めた。内田裕也さんに「東京に出てこないか?」と声をかけられたので、話をつけに単身で東京に行き、デビューにこぎつけるまで、孤軍奮闘ですね。
ほかの4人はあんまり動かないタイプ。だから、僕みたいに、先頭で引っ張っていく行動派がいないとダメだったんです。なにしろ、僕は小さいころから、「自分でやらなくっちゃ」で育ってますからね。
瞳みのるさんのターニングポイント①
新規参入を目指そうと、僕がひとり先遣で大阪に行きました。ほかの4人はあまり動かないタイプ。だからこそ、先頭に立つ人間が必要だった。小さいころから「自分でやる」ことに慣れていましたから。
▼次回は、ザ・タイガース全盛期と解散への道——ついて伺います▼
撮影/柴田和宣(主婦の友社)
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