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【ザ・タイガース】旋風のその先に。別れの裏にあった、知られざる物語[79歳・瞳みのるさんのターニングポイント#2]

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藤岡眞澄

僕は一生、この5人でやっていくんだと思っていたから——

——そんな中、1969年3月に加橋さんが突然、脱退されました。

僕は一生、この5人でやっていくんだと思っていたから、そこで夢が破綻したわけです。

この5人ならコーラスグループとしてやっていける、加橋の高音があってこその「ザ・タイガース」だと思い描いていたので、ショックは大きかったです。

だから、僕も辞めたいと思って、当時、懇意にさせていただいていた作家の柴田錬三郎先生に相談しました。

——柴田先生からのアドバイスはいかがでしたか?

まず、「辞めてどうするんだ?」と。僕の答えは、役者になろうか、土門拳のようなカメラマンになろうかといろいろ考えたけれど、「まず、勉強がしたい」でした。

これまでしっかりやってこなかった勉強。勉強なら一生、自分の身から離れることはない、と考えたからです。

すると、先生からは「勉強するには金が要る」と言われました。僕は当時、貯金がなかった。そこで、お金を貯めるために渡辺プロに頭を下げて、辞めるのを1年延ばしてもらうことになりました。

——結局、1971年1月24日、日本武道館での「ザ・タイガース ビューティフルコンサート」を最後にバンドは解散することになりました。

自分たちで作ったバンドを、周囲の事情でつぶしたくはない。できることなら、「ファニーズ」で出発したころのバンドに戻れないかと僕も考えました。でも、それは無理だった、ということです。

どれだけ説得されても、脱退の意思を曲げなかった僕を、沢田はラストステージの上で歌いながら、「ぶん殴ってやろうかと思った」と後で聞きました。

——その解散コンサートの後、内田裕也さんが開いた打ち上げの席からそのまま京都に帰ってしまわれた……。

その日の朝、家財道具一式を2トントラックに積み込んで武道館に行き、そこから打ち上げの店の横につけて、みんなにサヨナラの捨て台詞を吐き、店の前のガードレールを越えて、そのまま夜通しトラックを走らせて京都に帰りました。

——捨て台詞、ですか?

帰り際に、「お前たちに将来はない。行く行くは乞食になっているだろう」と言ったんです。「もう二度と会うことはない」って。

——それくらい、芸能界とは縁を切る、という決意が固かったということですよね。

あのときはそうでした。でも、結局は芸能界に戻って活動再開しているわけなので、あの台詞は……、と今では思っています。

瞳みのるさん Profile

瞳みのる●ひとみ・みのる
1946年、京都府生まれ。ザ・タイガースのドラマーとして67年にデビュー。71年のグループ解散後は、高校復学を経て慶應義塾大学文学部中国文学科へ。修士課程へ進み、教員免許を取得する。その後、慶應義塾高等学校教諭として中国語・漢文を担当し、2010年に退職。11年からはミュージシャンとしての活動を再開し、瞳みのる&二十二世紀バンドなどで精力的に活動中。
瞳みのるオフィシャルサイト
瞳みのるオフィシャルブログ

瞳みのるさんのターニングポイント②
僕は、この5人で一生やっていくものだと信じていましたから、夢が崩れた瞬間でした。では、これからどう生きるのか。心に浮かんだのが、これまで十分に向き合ってこなかった「勉強」でした。勉強なら一生、自分の身から離れることはない。

▼次回は、 復学、そして教師生活時代について伺います▼

撮影/柴田和宣(主婦の友社)

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