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【笠井信輔さん】フジテレビから独立直後にがんが発覚。その時、黒柳徹子さんからかけられた言葉とは?[ターニングポイント#3]

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藤岡眞澄

アナウンサーとして第一線を走り続けてきた笠井信輔さん。テレビ人生の中には、仕事や家族、そして病気との向き合い方など、いくつもの転機があります。何を感じて、どうこうどう行動してきたのか。人生を前に進めるヒントを伺いました。第3回は、フジテレビからの独立、そして間髪入れずに始まった闘病について。

▼前回はコチラ▼

>>「結局、妻の言うとおりにすると物事はうまくいく。そこが、ちょっと悔しい(笑)」【笠井信輔さんのターニングポイント#2】

フリーになって1カ月半後に、血液のがんの告知。夢も希望もないですね

——局アナとして32年半、『とくダネ!』を担当して20年半が過ぎた2019年9月30日。56歳でフジテレビを退職して、フリーアナウンサーに転身した理由は何でしたか?

この会社は僕を必要としていない、ということがわかったから。組織の中での自分の限界を見極めたということです。

『とくダネ!』のニュースコーナーで毎日30分しゃべってきたんですが、15年もたつとそれが10分になり、5分になり、最終的には1~2分。デスク業務の比重が重くなっていったんです。

もちろん、舞台裏の仕事もおもしろい。でも、僕はしゃべっていたいんです。

——60歳の定年まであと4年というタイミングの決断ですね。

最初に相談した小倉(智昭)さんからは、「笠井くんは映画、演劇という専門分野を持っているからやっていけるよ」と背中を押していただきました。

たしかに、「東京国際映画祭」の総合司会や「キネマ旬報ベスト・テン」授賞式の司会、講演会など社外の仕事がどんどん入ってきたタイミングでもありました。

妻は自分もアナウンサー経験があるから、僕の「しゃべりたい」という気持ちがわかったんですね。「それならがんばってください」と言ってくれました。ただし「辞めるのが5年遅かった」とも。

確かに、いまフリーで活躍している福澤(朗)くん、羽鳥(慎一)くんは40代で日本テレビを辞めている。テレビ朝日の富川(悠太)くんもそう。ところが、フジテレビで40代に引く手あまたで辞めた男性アナウンサーは逸見(政孝)さんしかいない。それくらいフジテレビって居心地がいい会社なんです。

——ところが、フリーアナウンサーになるのとほぼ時を同じくして、悪性リンパ腫という血液のがんが判明。予兆はありましたか?

最初の異変は、退職する2カ月ほど前から始まった排尿障害。膀胱がんの克服経験を持つ小倉さんに相談したら、「すぐに病院で検査してもらえ」と言われました。

検査に4カ月を費やして、悪性リンパ腫の告知を受けたのは、フリーになって1カ月半後の11月22日。がんの検査を受けながら退社して、この告知ですから夢も希望もないですよね。

その後に受けたセカンドオピニオンで、正確な病名は「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫」で、全身にがんが散らばったステージⅣであること。入院期間は早くて4カ月、長ければ1年に及び、予後がよくないタイプであることなどがわかりました。

初めて死を覚悟したのが、このときです。

——ご家族に悪性リンパ腫であることを伝えたときの反応はいかがでしたか?

いちばん辛かったのが、16歳だった三男の「僕とスキーに行けないの?」という第一声でしたね。3カ月前に約束したときは僕もとてもうれしかったのに、連れて行けない……。

思わず妻の前で泣いたのは、この時だけです。妻は「来年、連れて行けばいいのよ」と、前向きに励ましてくれましたが……。

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