84歳の私が“はるか昔の私”へ宛てた手紙——「あっという間だったわ」毎日、声を上げて笑うといい
21年後の未来の自分へ手紙を書く——。そんなユニークな試みをしたのは、88歳のニューヨークのベストセラー作家です。人生後半で見つけた幸せをつづった『老いることの驚きと幸せ これから年を重ねていくあなたへ、88歳の作家からの手紙』(アスコム刊)から一部抜粋して、その興味深いやり取りをご紹介します。第4回は、「84歳のわたしからわたしへ」。
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>> 「老いるのが怖い」63歳の夜に書いた手紙──84歳の私へ、ありったけの愛を贈るまで84歳のわたしからわたしへ
(105歳時に開封のこと)
2020年12月12日
おそらくこれが、21年おきに自分へ宛てて書いてきた手紙の4通目で最後のものになるだろう。今回わたしは、未来の自分に宛ててではなく、はるか昔の自分に向けて書いているのだと思う。来週やってくる自分の誕生日を前にして、祖母の80歳の誕生祝いの集まりを思い出す。家族が農場に集まったあの日、祖母は感慨深げにこうつぶやいた。「あっという間だったわ」。まだ少女だったわたしは笑いをこらえるのに必死で、祖母の言葉をまったく理解できていなかった。というのも、わたしの人生はまだまだゆっくりと進んでいる最中で、胸躍る瞬間のひとつひとつが心と記憶に深く刻まれる日々を送っていたからだ。
でも今ならわかる。あっという間だった。そして、さまざまなことがあった。
なんという人生だったろう。なんという世界だったろう。豊潤で、多彩で、そして充実していた。抗い難く、避けられないこともあったけれど、それでも恵みに満ちていた。
20歳か21歳の頃に人生の夢を描いたとして、どんなに破天荒な未来図を想像したところで、自分を見くびる結果となっていただろう。あのときには到底思いつかなかった歓びと幸せに満ちた奇跡のような人生が、実際には目の前に広がったのだ。人生にはさまざまなものが満ちていた。味覚や聴覚を愉しませてくれるもの、悲しみや嘆き、希望や慰め、人からの励まし、体験の数々、そして愛。その愛はただ恩寵によって惜しみなく注がれたものだ……。これを書きながら涙がこぼれている。胸の奥が謙虚と感謝の念でいっぱいだ……。
この年齢に達した今、高みから広い地平を見渡すように振り返ると、言ってしまったこと、やってしまったこと、あるいは言うべきときに言わず、すべきときにしなかったことへの悔いや自責の念で胸が詰まる。それに加えて、無知で不器用なくせに、自分はうまくやれていると思い込んでいた少女に対する、不思議なほどの同情も湧き上がってくる(もっとも、今だって大して器用ではない。ただ歳月を重ねれば、いやでも人は多少なりとも学ぶものだ)。もしかすると、この手紙の宛て先はあの頃の自分なのかもしれないし、あるいは今の自分なのかもしれない。
要はこういうことだ——わたしは何ひとつわかっていない。
大好きだった義母のドーシーが以前こう小声で言っていた。「昔はね、何でも知っているつもりだった。でも今は、何ひとつわからないの」
まさに今のわたしの気持ちそのものだ。こんなに年月を重ねてなお、どうしてこれほど学ぶべきことが多いのだろうか。
<中略>
