記事ランキング マンガ 連載・特集

【EPOさん】が語るデビュー前夜の「ミラクル」山下達郎さんに直談判してカヴァー曲でデビューするまで

公開日

更新日

ゆうゆうtime編集部

昨年デビュー45周年を迎え、10年ぶりとなるアルバム『EPOFUL』のリリース、記念ライブの開催と精力的な活動を展開するEPOさん。1980年代に颯爽とデビューし、数々のタイアップ曲をリリースするなど華々しい活躍だったが、決してすべてが順風満帆だったわけではない。EPOさんが歩んできた激動の日々について語ってもらった。

山下達郎さんへの直談判によりカヴァー曲でデビュー

「音楽は自分にとって心を支えてくれたもので、なくてはならないものです」

こう語るEPOさんはピアノを習い始めた3歳の時から、日常の何気ない出来事を歌にしていたほど、音楽は生活に欠かせないものだった。

「飼っている鳥の話や海に行った時の話など、日記みたいに出来事を歌にして、先生に聴いてもらったりしていました。その日にあったことや感じたことを歌にする遊びみたいな感じでしたね。特に好きだったのは山下達郎さんのシュガー・ベイブやユーミン。あとはカーペンターズも好きで、アメリカの70年代、80年代音楽にすごく影響を受けていると思います」

そんなEPOさんに最初の転機が訪れたのは高校時代。作曲家でアレンジャーの清水信之さん、ギタリストの佐橋佳幸さんと同じ都立松原高校に在学時、アマチュアバンド「Laugh」のピアノ&コーラスとして、ニッポン放送のアマチュア発掘番組「ライオン・フォーク・ビレッジ」のコンテストに出場して、見事に優勝を果たした。この出来事をきっかけに音楽関係者との接点が生まれ、1980年3月のデビューへとつながっていく。

【EPOさん】が語るデビュー前夜の「ミラクル」山下達郎さんに直談判してカヴァー曲でデビューするまで(画像2)

シンガーソングライターに珍しく体育大学に在籍していたため、デビュー時は「スポーツも音楽も同じ。」というキャッチコピーが。

「デビューが決まって、デビューアルバムの発売直前にRCAレコードで会議があって、アルバムはできそうだけど、シングルになりそうな曲がないから『シングルにできそうな曲を1曲頑張って作ってみない?』と言われたんです。でも、それまで人に聴かせるための音楽を作ったことがなかったので、シングルカットできる曲ってどうやって作るんだろう?と思って、どうしよう…と困ってしまいました」

自分の考えを整理するため会議室を出たEPOさんがエレベーターホールのベンチに座っていると、「ミラクルでした」と回想するまさかの出来事が起こる。目の前のエレベーターが開いて、憧れの山下達郎さんが降りてきたのだ。まったく面識はなかったものの、EPOさんの体は自然と動いていた。

「山下達郎先生が目の前に現れた時、『今だ!』って声が聞こえて、背中を押された気がしたんです。それで『今度デビューするEPOと言います。中学時代から大ファンで、DOWN TOWNをカヴァーさせてもらえないでしょうか』ってお願いしたんです」

この直談判を快諾してもらい、デビュー曲が憧れのシュガー・ベイブの「DOWN TOWN」に決まった。

「達郎さんと出会えたことも、あの楽曲をアルバムに入れさせてもらったことも、たくさんの方に聴いてもらえたことも、感謝の気持ちでいっぱいです。今でもあの時の喜びはずっと残っています」

60代読者モデルおすすめのリンクルクリームとは?

60代読者モデルおすすめのリンクルクリームとは?PR

詳細はこちら
画面トップへ移動