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大河ドラマ【どうする家康】戦国期の武家の女性のファッションとは? ヘアスタイルにも注目!

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鷹橋 忍

大河ドラマ【どうする家康】戦国期の武家の女性のファッションとは? ヘアスタイルにも注目!

お市と娘たちの像(滋賀県 長浜)

戦国武将や城、水軍などに詳しい作家 鷹橋 忍さんに、知られざる徳川家康の姿や時代背景などについてひも解いていただく連載企画。今週は番組の放送がお休みでしたので、スペシャル版。戦国時代の武家の女性のファッションについて、解説していただきます。

4月9日(日)は、大河ドラマ『どうする家康』の放送がお休みでした。
ですので、今回は、戦国期の武家の女性ファッションを取り上げたいと思います。

【小袖】下着が表着に

戦国時代の装束はだんだんと省略化され、「小袖」が男女や身分を問わず、衣服の中心的存在となりました。

小袖とは、どのような装束なのでしょうか。
小袖は現在において、一般に「きもの」と呼ばれているものを指します。
小袖の名は、公家装束の上着の袖口が約60センチも開いているのに対し、袖口が狭い(手首が通るくらい)ことに由来するといいます。

防寒に適した服で、もともとは公家や武家で、装束の下着として用いられていました。
下着ですので、男女ともに白が基本でしたが、染めと刺繍で色や柄を付けることで格式を整え、表着へと進化を遂げました。

北川景子さんが演じるお市は、第4回「清須でどうする!」で家康らと清洲の町を見渡すシーンで、紫単色の正絹に花柄の小袖を「片身合わせ」に着ていました。
次は、この小袖によって確立した、武家女性の礼装である「打掛姿」と「腰巻姿」を、ご紹介しましょう。

【打掛姿】武家の女性の礼装(冬期)

打掛姿とは、小袖を何枚か重ね着し、これを細い帯で締め、さらに「打掛」と呼ばれる小袖を、一番上に打ち掛けた(羽織った)ものです。

鎌倉時代の「女房装束姿」が原型ですが、袴をはいていた鎌倉時代と違い、戦国時代は袴を省略し、小袖のみです。

裾は長めで、少し引きずるほどでした。足元は裸足です。
帯の位置に決まりはなく、前後左右、どこでも各人が好きな位置で結びました。
結び方は江戸時代初期まで、簡単なものが主流でした。
打掛姿は何枚も重ね着するので、とても暑そうですよね。それもそのはず。打掛姿は、冬期の礼装です。
夏期の礼装は、次にご紹介する「腰巻姿」となります。

【腰巻姿】武家の女性の礼装(夏期)

腰巻姿は、打掛の上半身を脱ぎ、腰に巻き付けたものです。
打掛姿では、帯を打掛の内側で締めていましたが、腰巻姿では打掛の上で締めます。

打掛姿と腰巻姿は着方が異なるだけで、身に纏う着物は同じです。

お市には、赤地の華やかな小袖を腰巻にした、腰巻姿の肖像画が残っています。
この時代、織物や染色の技術が進歩しており、打掛、腰巻、小袖には、唐織、縫箔(金銀の箔をすりつけること)、辻が花染めなど、様々な装飾がなされていたようです。

次は、外出スタイルの「被衣(かづき)」をみてみましょう。

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