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「どうする家康」気の毒な家康(松本潤)。信長(岡田准一)は、家康を前線に残したまま、何も告げずに退却した⁉︎

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鷹橋 忍

「どうする家康」気の毒な家康(松本潤)。信長(岡田准一)は、家康を前線に残したまま、何も告げずに退却した⁉︎

『どうする家康』第14回より(C)NHK

徳川家康というと、どういうイメージをもっていますか? 2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」では、どんな家康が描かれるのでしょうか。戦国武将や城、水軍などに詳しい作家 鷹橋 忍さんに、知られざる徳川家康の姿や時代背景などについてひも解いていただきましょう。

大河ドラマ『どうする家康』第14回「金ヶ崎でどうする!」では、大貫勇輔さん演じる浅井長政が、岡田准一さん演じる義兄の織田信長を裏切りました。

信長からも「義の男」と信頼されていましたし、北川景子さんが演じる妻のお市を、とても大切に思っているようでしたので、意外に思われた方もいらしたかもしれません。

今回は、その浅井長政と「金ヶ崎の退き口」を取り上げたいと思います。

浅井長政には、お市の前にも妻がいた

浅井長政は幼名を猿夜叉といい、天文14(1545)に誕生しました。
天文3年(1534)生まれの信長より11つ、天文11年(1542)生まれの家康より3つ年下です。
天文19年(1550)生まれと推測されるお市(黒田基樹『お市の方の生涯 「天下一の美人」と娘たちの知られざる政治権力の実像』)よりも、5つ年上となります。

父親は、近江国の小谷城(滋賀県長浜市湖北町)の城主・浅井久政です。小谷城は、長政の祖父・浅井亮政、父の浅井久政、そして長政までの浅井三代の居城で、要害の地に建つ山城です。

長政には実は、お市の前にも妻がいました。

前妻とは3カ月で離婚

長政は永禄2年(1559)正月、15歳で元服し、近江六角家の重臣である平井定武の娘を妻としています。

戦国時代の近江国は、北で京極氏、南で六角氏が勢力を誇っており、この時期の浅井家は、六角家に服属していました。
長政は元服に際し、六角義賢から偏諱(自分の名の一字を与えること)を得て、「賢政」と名乗ります。

ところが、同年4月、長政は妻を離別してしまいました。これは、六角家との決別を意味します。
浅井家の内部では、六角家の支配から抜け出そうとする動きがあったといわれます。

長政は翌永禄3年(1560)、浅井の家督を継ぎました。

長政の「長」は信長から貰った?

永禄4年(1560)5月、長政は六角義賢から偏諱を受けた「賢政」の名を捨て、「長政」と改名しました。

家康も、野村萬斎さんが演じる今川義元からの偏諱である「元康」を、「家康」に代えていましたね。

その後、浅井家は六角家から独立します。
ところで、賢政の「賢」は六角義賢から一字を拝領したものでしたが、長政の「長」の由来は何なのでしょうか。

一説に、これは信長から「長」を貰ったといわれています。
長政への改名には、信長の妹・お市と長政の婚儀、つまり、浅井と織田の同盟が関係しているというのです(太田浩司『浅井長政と姉川合戦――その繁栄と滅亡への軌跡――』)。

ですが、長政とお市の結婚の時期は定かでなく、永禄4年説、永禄11年説など諸説があり、「長」の字の由来も、確かなことはわかっていません。
長政は何を思って、長の字を選んだのでしょうか。

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