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【どうする家康】磔になりながらも忠義を貫いた鳥居強右衛門(岡崎体育)。実は妻子がいて、子は関ケ原で活躍を!

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鷹橋 忍

【どうする家康】磔になりながらも忠義を貫いた鳥居強右衛門(岡崎体育)。実は妻子がいて、子は関ケ原で活躍を!

「どうする家康」第21回より(C)NHK

徳川家康というと、どういうイメージをもっていますか? 2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」では、どんな家康が描かれるのでしょうか。戦国武将や城、水軍などに詳しい作家 鷹橋 忍さんに、知られざる徳川家康の姿や時代背景などについてひも解いていただきましょう。

【前回】

【どうする家康】家康(松本潤)は、息子夫婦の不仲の仲裁に赴いていた。嫁姑の関係にも亀裂が

大河ドラマ『どうする家康』第21回「長篠を救え!」では、岡崎体育さんが演じた鳥居強右衛門が、最期は磔になりながらも貫いた忠義に、多くの視聴者が涙しました。

そこで今回は、鳥居強右衛門を中心に取り上げたいと思います。
鳥居強右衛門とは、どのような人物だったのでしょうか。

家康より2歳年上?

鳥居強右衛門は、後世の史料や位牌に記された享年36から逆算して、天文9年(1540)に誕生したと思われます(金子拓『鳥居強右衛門 語り継がれる武士の魂』)。
天文11年(1542)生まれの家康より、二つ年上となります。

昭和18年(1943)刊行の井口木犀著『鳥居強右衛門』によれば、強右衛門の幼名は、兵蔵といいます(ここでは、強右衛門で統一)。
父親は鳥居平助といい、強右衛門には二弟二妹がいたと記されています。

妻子がいた

強右衛門は住職や軍師・学者らから文武を学び、水泳を練り、槍、剣術に長じ、性剛直にして人に屈することを欲せず、自ら「強右衛門」と称したといいます(以上、井口木犀著『鳥居強右衛門』)。

強右衛門には妻子があり、妻の名は「ゆき」と伝わります。

ただし、これら強右衛門の父母や兄弟姉妹、妻や生い立ち、幼名などについての確証はありません(金子拓『鳥居強右衛門 語り継がれる武士の魂』)。
どのような身分であったのかも定かでなく、強右衛門に関しては、不明な点が多いのです。

強右衛門が仕えた奥平氏とは

強右衛門は、はじめは白洲迅さんが演じる奥平信昌の父・奥平定能に、のちに信昌に仕えました。
ここで奥平氏について、簡単にご紹介しましょう。

奥平氏は、奥三河の作手(愛知県新城市)を本拠とする国衆です。
奥平氏は、桶狭間合戦後も今川氏に属していましたが、永禄7年(1564)2月、家康に従属しました。

その後、元亀3年(1572)7月に、今度は武田氏に属します。

ところが、奥平定能・信昌父子は武田氏の対応に不満をもち、天正元年(1573)8月、武田氏から離反し、再び家康に帰順しました。
このとき家康は、當真あみさん演じる長女の亀姫と、奥平信昌との結婚を約束しています。

信昌は弘治元年(1555)生まれ、亀姫は諸説ありますが、永禄3年(1560)生まれとされるので(黒田基樹『家康の正妻 築山殿 悲劇の生涯をたどる』)、このとき信昌は数え年で19歳、亀姫は14歳でした。

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