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【どうする家康】家康(松本潤)は、息子夫婦の不仲の仲裁に赴いていた。嫁姑の関係にも亀裂が

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鷹橋 忍

【どうする家康】家康(松本潤)は、息子夫婦の不仲の仲裁に赴いていた。嫁姑の関係にも亀裂が

『どうする家康』第20回より(C)NHK

徳川家康というと、どういうイメージをもっていますか? 2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」では、どんな家康が描かれるのでしょうか。戦国武将や城、水軍などに詳しい作家 鷹橋 忍さんに、知られざる徳川家康の姿や時代背景などについてひも解いていただきましょう。

【前回】

【どうする家康】家康(松本潤)の子を宿したお万の方(松井玲奈)。実は双子を出産していた⁉︎

大河ドラマ『どうする家康』第20回「岡崎クーデター」は、毎熊克哉さん演じる岡崎町奉行の大岡弥四郎らのクーデターや、有村架純さんが演じる瀬名(築山殿)と久保史緒里さんが演じる五徳の間の亀裂が描かれ、瀬名と古川琴音さんが演じる歩き巫女・千代が対峙するシーンで終わるなど、不穏な雰囲気に包まれていました。

五徳と、その夫・細田佳央太さんが演じる松平信康の夫婦仲も、あまり円満ではなさそうでしたね。
そこで今回は、信康と五徳の夫妻を取り上げたいと思います。

まずは信康からみていきましょう。

松平信康

信康と五徳は同じ年?

松平信康は永禄2年(1559)、駿府で生まれたとされます。
母親は家康の正妻の築山殿で、家康が数え年の年で18歳のときの子となります。
幼名は、家康と同じく「竹千代」と名付けられました(ここでは信康で統一します)。

なお、五徳も、信康と同じ年に誕生したといわれます。

5歳で婚約、9歳で結婚

桶狭間の合戦後、家康が今川家から離叛しても、信康は駿府に残っていました。
ですが、永禄5年(1562)、野間口徹さんが演じた今川の家臣・鵜殿長照の息子である鵜殿氏長・氏次兄弟との人質交換によって、家康の本拠である岡崎城(愛知県岡崎市)に移りました。

そして、永禄6年(1563)、織田・徳川同盟の証として、岡田准一さん演じる織田信長の娘・五徳と婚約し、永禄10年(1567)に結婚したとされます。

結婚当時、信康も五徳も9歳でした。ずいぶんと若い夫妻ですね。

信康の「信」は、信長から貰った

ドラマでも描かれたように、家康は岡崎城を信康に譲り、拠点を浜松城に移しました。
築山殿は、岡崎に残っています。

元亀2年(1571)、13歳の時、信康は元服します(元亀元年説あり)。
信康、13歳のときのことです

以後、信康は、岡崎城の城主という立場となりました(黒田基樹『家康の正妻 築山殿 悲劇の生涯をたどる』)。
元服に際し、信康は信長から「信」の一字を与えられました。

そして、妻の父である信長と、実父である家康から一字ずつをとり、信康と名乗るようになります。

家康の息子でも「徳川」信康ではない?

ドラマと同様に、家康は「松平」から「徳川」へと、改姓を行ないました。
ですので、当然のことながら信康も、「徳川信康」であったと考えるかと思います。

ところが、信長が信康を「松平三郎(三郎は信康の仮名)」と称している文書が存在することから、信康は徳川に改姓していないとみられています(本多隆成『徳川家康の決断』)。
信康は、松平姓のままであったようです。

次は、信康の妻・五徳をみていきましょう。

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