【どうする家康】「三河武士の鑑」と称えられる鳥居元忠(音尾琢真)、伏見城で壮絶な最期を迎える
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鷹橋 忍
徳川家康というと、どういうイメージをもっていますか? 2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」では、どんな家康が描かれるのでしょうか。戦国武将や城、水軍などに詳しい作家 鷹橋 忍さんに、知られざる徳川家康の姿や時代背景などについてひも解いていただきましょう。
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大河ドラマ『どうする家康』第42回「天下分け目」では、伏見城を守る音尾琢真さん演じる鳥居元忠と古川琴音演じる千代たちが、中村七之助さん演じる石田三成の軍勢に攻められ、壮絶な最期を迎えました。
最後の最後まで戦い続ける元忠と千代の姿に、涙した視聴者の方も多いのではないでしょうか。
そこで今回は、鳥居元忠を取り上げたいと思います。
鳥居氏は財力のある武士
江戸幕府が編纂した大名・旗本の系譜集『寛政重修諸家譜』によれば、鳥居元忠は天文8年(1539)に、三河国渡河内で生まれました。
天文11年(1542)生まれの家康より、3歳年上となります。
父親は、イッセー尾形さんが演じた鳥居忠吉です。
鳥居氏はこの忠吉が、家康の祖父である松平清康に仕えてからの譜代家臣で(小川雄・柴裕之編著『図説 徳川家康と家臣団 平和の礎を築いた稀代の〝天下人〟』)、財力のある商人武士だったといいます(煎本増夫『徳川家臣団の事典』)。
元忠の長兄・鳥居忠宗は、飯田基祐さんが演じた松平広忠(家康の父)に仕えていましたが、天文16年(1547)に戦死。次兄は出家したため、三男の元忠が鳥居家の家督を継ぎました。
家康の股肱の家臣
元忠は天文20年(1551)、13歳のときに、駿河の今川氏のもとにいた家康に近侍するようになりました。
永禄元年(1558)には寺部城攻めで、家康とともに初陣を遂げ、永禄3年(1560)、桶狭間の合戦の前哨戦となった家康の大高城への兵糧入れにも従軍しています。
以後、永禄6年(1563)の三河一揆、永禄12年(1569)の掛川城攻め、元亀元年(1570)の姉川の合戦、天正3年(1575)の長篠合戦など、数々の戦場を駆け抜け、武功を挙げていきます。
先鋒を務めた諏訪原城(静岡県島田市)攻めでは、左股を鉄砲で撃たれ、左足が不自由になってしましました。
それでも、元忠はその後も犬居城、田中城、高天神城攻めなど、戦い続けています。
三河武士の鑑
天正18年(1590)に、家康が関東に移封になった際に、元忠は下総国矢作(千葉県佐原市)四万石を授かっています。
これは、板垣李光人さんが演じる井伊直政の十二万石、山田裕貴さんが演じる本多忠勝と杉野遥亮さんが演じる榊原康政の十万石、相模国小田原に四万五千石を賜わった小手伸也さんが演じた大久保忠世に次ぐ高禄です。
確かな地位を築いた元忠は、慶長5年(1600)、数えで62歳のとき、ドラマでも描かれたように、家康から伏見城の守備を任されました。
そして、7月19日、反徳川勢による伏見城への攻撃が始まります。元忠は1800人余を率いて、敵の大軍を相手に奮戦するも、8月1日に、鈴木重朝によって討ちとられました(小川雄・柴裕之編著『図説 徳川家康と家臣団 平和の礎を築いた稀代の〝天下人〟』)。
敗れはしましたが、その忠義と戦いぶりは人々の心を打ったのでしょう。元忠は「三河武士の鑑」と称えられています。