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津軽三味線奏者・中村滉己さん「いちばん弾きたくなかった曲です」20年近く引き続け、日本一もとった楽曲とは?

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ゆうゆう編集部

津軽三味線奏者、民謡歌手としても活動中の中村滉己さん。「20年近く三味線を弾いているうちに、この曲に自分の人生観がどんどん反映されるようになってきました」という一曲について、お話を伺いました。

PROFILE
中村滉己さん

なかむら・こうき●2003年、愛知県生まれ。
幼少期から祖父に三味線の手ほどきを受け、8歳から津軽三味線奏者・二代目中村隆志氏に師事。中学3年生で津軽三味線日本一決定戦、全日本津軽三味線競技会名古屋大会で2度の史上最年少日本一に。22年には第40回記念 津軽三味線世界大会個人A級初出場で優勝。
津軽三味線奏者、民謡歌手としても活動中。

人生観を反映させながら、自分らしい表現をできるのが魅力

僕は、祖父が津軽三味線奏者、母は民謡歌手という民謡一家に生まれ育ちました。2歳で三味線に触れて祖父から手ほどきを受け、8歳からは師匠のもとで津軽三味線を習うように。その頃、師匠から「弾いてみろ」と言われ、いちばん弾きたくなかったのが「津軽じょんから節」です。

実は僕、三味線の基礎をすっ飛ばして演奏を身につけたんです。楽譜を読まずに、すべて耳コピで習得。叩き方や打ち方など、じょんから節でいちばん大切になる奏法を習わない状態のまま、大会で演奏することになりました。それが小学3年生のときかな。今までは行き当たりばったりの演奏方法でもよかったけれど、ちゃんと基礎に立ち返らなきゃ……。初めてそう感じたのがこの曲です。

それからはバチの持ち方を正したり、基本奏法を学んだり。その後、いろいろな経験を重ねながら20年近く三味線を弾いているうちに、この曲に自分の人生観がどんどん反映されるようになってきました。

これまで津軽三味線の大会で8回ほど日本一をとりましたが、演奏したのは全部「津軽じょんから節」です。決まった楽譜があるわけではなく、ほぼ即興でつくり上げていく楽曲。100人いれば100通りの弾き方があるし、100回弾けば100回とも違います。だからそのつど、いちばん自分らしい表現ができる。そんなところもこの曲の魅力かもしれません。

5月に発売された僕のファーストアルバム『民唄 -TamiUta-』にも「津軽じょんから節 新節」が収録されています。決して派手な演奏ではないし、特徴的なテクニックがめちゃめちゃ詰め込まれているわけではありませんが、何回聴いても飽きずに「いいな」と思っていただけるように演奏しました。聴いてくださった皆さんの率直な感想を早く知りたい! 今、すごくワクワクしています。

三味線も民謡も面白く、やりがいがあります。いくらでも進化できる、何でもできる。皆さんにも興味をもってもらえたら嬉しいです。

青森県民謡「津軽じょんがら節」

青森県津軽地方に伝わる民謡。1597年に落城した城主の霊を慰めるために唄われたものといわれている。
津軽三味線の伴奏とともに唄われる他、津軽三味線だけの演奏による「曲弾き」も広く行われる。

本格デビューアルバム『民唄 -TamiUta-』発売中!

和の伝統を受け継ぎながら、若い感性で新しいエンターテインメントをつくり上げる津軽三味線奏者・民謡歌手の中村さん。ファーストアルバム『民唄 -TamiUta-』は、三味線と民謡、さまざまな音楽的要素が融合した渾身の作品だ。「津軽じょんから節 新節」など民謡の代表曲の他、自身の作曲によるオリジナル曲など、全13曲を収録。

日本コロムビア 3500円

※この記事は「ゆうゆう」2024年8月号(主婦の友社)の内容をWEB掲載のために再編集しています。

ゆうゆう2024年8月号

特集は…「孤独」にならない生き方のコツ。長い人生の最後に待ち受ける「孤独」の不安に、私たちはどう立ち向かえばいいのでしょう。
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