ひとり遊びが上手な70代とは?【孤独にならない生き方のコツ】料理研究家・谷島せい子さん76歳
自分らしい暮らしを楽しむ「ひとり時間」の達人は、どんな毎日を送っているのでしょうか。寂しさや不安、心配事などと上手につき合い、軽やかに日々を楽しむ谷島せい子さんの暮らしぶりから、孤独にならない生き方のヒントを探ります。
PROFILE
谷島せい子さん・料理研究家
たにしま・せいこ●1947年神奈川県生まれ。
客室乗務員、映画会社の海外コーディネーター兼通訳として働いたのち、結婚。子育てをしながら料理を学び、料理研究家としての活動をスタートする。50代で離婚を経験し、ひとり暮らしに。
『余った野菜はささっとストック』(主婦の友社)、『女65歳を過ぎて考えたこと。』(静山社)他、著書多数。
外に出れば人とつながれるマンションは最高の場所
「ようこそ!」と、涼やかなノースリーブ姿で自宅に迎え入れてくれた谷島せい子さん。取材に伺ったのは5月のうす曇りの日。思わず「寒くないですか?」と尋ねると、ほがらかな笑顔とともに「全然!」という声が返ってきた。
「私、年中、裸みたいな格好で過ごしているから大丈夫(笑)。もともと筋肉質で、代謝がいいのかもしれないわね」
洋服で隠れてはいるが、おなかには腹筋もしっかり。お孫さんに自慢してあきれられたこともあるそう。
「夏になると、よく孫たちと山で石を運ぶ遊びをしていたんです。筋肉はきっとその賜物(笑)。運動は簡単なストレッチくらいで何もやっていないのだけれど、筋肉の維持のために役立っているものがあるとすればお散歩かしら。毎日、愛犬のローリーをカートに乗せて7~8キロ、3時間ほど歩くのが日課です。コースはその日の気分によって違いますが、緑を追いかけて歩いていることが多いかな。都心にも自然はたくさん残っているんですよ。子どもの頃に見たような名もなき雑草を見つけては、『懐かしいねぇ』なんてローリーと話しながら歩いています。この間は、目黒川に遡上してきたボラを見つけてふたりでびっくりしたのよね、ローリー」
東京という街に、今あらためて感動していると谷島さんは言う。
「公園にゴミは落ちていないし、道路もとてもきれい。そして人もやさしいんです。ペット入店禁止のお店に間違って入ってしまったときには、若い店員の方が『僕が見てますよ』とローリーを預かってくださったこともあって。東京はいい街だなぁと、最近しみじみ思いますね」
ひとりで暮らしていると、気づけば一日中誰ともしゃべらなかったという日もままある。しかし谷島さんには、そんな日はほぼないようだ。
「おばあさんと犬のコンビって、どうやらすごく話しかけやすいみたい(笑)。先日もお散歩の途中で立ち寄った公園で、5人くらいの方に話しかけられました。ときには、お散歩中の保育園の子どもたちにせがまれて、ローリーの握手会が開催されることもあるんですよ」
母のもとから私のもとに
散歩が日々の楽しみのひとつに加わったのは、コロナ禍に入ってから。長年続けていた料理教室をクローズしたことがきっかけだった。
「コロナ禍でも初めの頃は料理教室や雑誌などの撮影のお仕事は、消毒や検査を徹底しながら行っていました。でもあるときふと、消毒まみれになってまで料理の仕事をする必要はないのかもしれないなと思ったんです。それを機に教室はクローズ。今も少しだけ引き受けていますが、もう昔のようにたくさんの仕事を抱えることはないかな。あのときが、生活と仕事を見直すいいタイミングだったのだと思います」
自由な時間が増えた今、散歩に趣味にと谷島さんの一日は忙しい。朝食後は、最近ハマっているというスマホゲームに興じたあと、大リーグの試合を見るのが日課となっている。
「大谷翔平選手を追いかけて、はや10年。やっとエンゼルスの選手の名前を覚えたと思ったら、ドジャースに移籍でしょう? 今、選手の名前をノートに書いて覚えている最中なんです。最近は、シンガーソングライターのエド・シーランにもハマっていて。彼のことを調べたりしていると、『もう夕方⁉』なんてことも」
端切れなどを使った小物作りや読書など興味は広く、さまざまな趣味を楽しんでいる。
「私ね、退屈しない女なんです(笑)。ひとり遊びが得意で、時間が過ぎるのが毎日あっという間。だから孤独を感じるヒマがないんです。退屈する時間をつくらないというのも、ひとり暮らしを楽しむコツのひとつなのかもしれませんね」
孤独とは無縁の暮らしに関係していることがもうひとつ。住環境だ。
「このマンションに住んで20年。以前は住人同士のおつき合いはほとんどなかったんです。それが東日本大震災を機に、『お隣さんとあいさつをしましょう』という空気が生まれて。今では桜の時季になると理事会主催の宴会が催されたり、麻雀やヨガの教室が開催されたり。年に2回の消防訓練もあるんですよ。一歩外に出るだけで誰かとつながれるこのマンションは、私にとって最高の場所。老人ホームとしても最高なんじゃないかしら(笑)。この先も、ずっとこの家で暮らしていけたらいいなと思っています」