92歳、奇跡の現役ラガーマン。娘が明かす父がボケないたった一つの理由とは?
「楕円のボールを追いかけ続け、気づけば92歳になっていました」と話すのは、92歳のラガーマン・永山隆一さん。永山さんの“老けない脳と体”の秘訣とは? じっくりとお話を伺いました。
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永山隆一 ラガーマン、医師
ながやま・りゅういち●1932年大阪府生まれ。
40歳以上のラグビーチーム「不惑倶楽部」の最高齢メンバー。
57年東邦大学医学部卒業。東芝中央病院(現・東京品川病院)などで60歳まで外科医として勤務、その後10年間、東芝府中工場健康管理センター長。東芝府中ラグビー部チームドクターも務めた。
現在は永山クリニック名誉院長。
92歳のラガーマン ノーサイドの日まで
永山隆一著
1870円/主婦の友社
家族や仲間に支えられ、92歳の今もラグビーを続ける永山隆一さん。ラグビーの精神「One for All, All for One」を体現する人生と、衰えていく体と向き合う姿を追う。
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戦争で一度は断念したラグビーへの夢
「ぼくからラグビーをとったら、何も残りません」
92歳の永山隆一さんはそうキッパリと話す。18歳でラグビーを始めて74年、平日は医師、週末はラグビーという二足のわらじを履き続けてきた。
「ラグビーがなかったら……ぼくは今頃どうやって生きていたんだろう。想像できないなぁ」と永山さんは笑う。
子どもの頃からずっとラグビーにあこがれてきた。当時永山さんが住んでいた大阪では、天王寺中学ラグビー部が全国大会で大活躍していた。永山さんも「天王寺中でラグビーをする」と決意していた。しかし夢は叶わなかった。太平洋戦争の激化により、大阪市の小学生は疎開させられ、永山少年は小6で両親の地元・鹿児島に転居した。
「中学・高校時代はラグビーと無縁の人生でした。ぼくが高校生のとき天王子高校(旧天王寺中)が全国優勝し、そのメンバーに小学校の同級生もいました。悔しかったですね」
念願叶ってラグビーを始めたのは、医学部の大学生になってからだった。あこがれのラグビー部を、自ら創設した。
「初めてラグビーボールを空高く蹴り上げたときの感動は、生涯忘れません。ぼくのラグビー人生のキックオフでした」
永山さんは医師となり、同じく医師である妻と結婚、3人の子どもに恵まれた。
「でもぼくは週末になるとラグビーに行ってしまうので、妻には迷惑をかけたと思います」
40歳までは医学部卒のラガーマンが集まった「ドクタークラブ」でラグビーを続け、40歳以降は伝統あるシニアラグビーチーム「不惑倶楽部」でプレーを続ける。さらにラグビーのマッチドクター(試合会場で対応する医師)や、社会人ラグビーチームのチームドクターとしても活動。まさにラグビー漬けの人生を送ってきた。
ラグビー仲間との懇親会は大きな楽しみ
「ラグビーの試合や練習も楽しいけれど、仲間と飲む時間も最高です」と永山さん。不惑倶楽部の仲間と月に1回の懇親会がある。ちなみに永山さんは下戸で、飲むのはウーロン茶。
楕円のボールを追いかけ続け、気づけば92歳になっていました
そして90歳のとき、思いがけないことが起きる。永山さんは英国自動車メーカーの「ジャガー・ランドローバー」の公式コマーシャルフィルムに「年齢を乗り越えて挑戦し続ける90代ラガーマン」として登場することになったのだ。
「最初に依頼されたときは、高齢者を狙った詐欺かと思いました(笑)。実際のコマーシャル映像は、2023年のラグビーワールドカップ フランス大会の会場の巨大スクリーンに映し出されたそうです。現地で観戦していたラグビー仲間が『おまえ、出てたぞ!』と写真を送ってくれて、感激しました」