【べらぼう】田沼意次(渡辺謙)と田安賢丸(寺田心)は何でもめているのか?
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鷹橋 忍
2025NHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめものがたり)〜」。当時の文化や時代背景、登場人物について、戦国武将や城、水軍などに詳しい作家・鷹橋 忍さんが深掘りし、ドラマを見るのがもっと楽しくなるような記事を隔週でお届けします。今回は、田沼意次(おきつぐ)と田安賢丸(まさまる)の関係性を中心にご紹介します。
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NHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺」の第3回「千客万来『一目千本』」、第4回「『雛(ひな)形若菜』の甘い罠(わな)」が放送されました。横浜流星さんが演じる主人公・蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう/蔦重)を中心に吉原の世界を描くパートと併行して、渡辺謙さんが演じる田沼意次を中心とする江戸幕府の政争なども描かれています。
田沼意次と「御三卿(ごさんきょう)」の一つ・田安家の生まれである寺田心さんが演じる田安賢丸(のちの松平定信)の対立など、幕府の政争関連のパートは、吉原のパートに比べて「少しややこしい」という感想を抱いた方も少なくないようです。
そこで今回は、御三卿と賢丸の背景を整理してみたいと思います。
御三卿とは?
御三卿に触れる前に、まず御三家の話からはじめましょう。
御三家とは、徳川家康の九男・徳川義直(よしなお)を祖とする「尾張徳川家」、十男・徳川頼宣(よりのぶ)を祖とする「紀伊徳川家」、十一男・徳川頼房(よりふさ)を祖とする「水戸徳川家」の、三家を指します。
いずれも独立した大名であり、徳川姓を称することができ、将軍継承権を有しました。この御三家からはじめて将軍の座に就いたのが、紀州徳川家の徳川吉宗(よしむね)です。享保元年(1716)、吉宗は八代将軍に就任しました。徳川将軍家の直系は四代将軍・徳川家綱(いえつな)で途絶えており、吉宗は将軍職を自分の血統に継承させたいと考えたとみられています。
吉宗は延享4年(1745)9月に、数え62歳で引退しました。吉宗は将軍職を、同年11月に吉宗の長男・徳川家重(いえしげ)に継がせています。そして、二男・宗武(むねたけ)を祖とする「田安家」、と四男・宗尹(むねただ)を祖とする「一橋家」を創設しました。
吉宗は宝暦元年(1751)6月に68歳で没しますが、九代将軍・徳川家重が二男・重好(しげよし/吉宗の孫)を祖とする「清水家」を創設します。
吉宗の血筋から田安家、一橋家、清水家の三家が生まれたのです。この三家を「御三卿」と呼び、将軍の血筋が途絶えた際には、御三卿から将軍継嗣(けいし)を迎えるという新たなルールが誕生したといいます(安藤優一郎『蔦屋重三郎と田沼時代の謎』)。御三卿はそれぞれ、領知十万石が与えられました。
賢丸は、田安家の祖・宗武の七男(高澤憲治『松平定信』)。生田斗真さんが演じる一橋治済(はるさだ)は、一橋家の祖・宗尹の四男で、一橋家の二代目当主です。
田安賢丸も一橋治済も八代将軍・徳川吉宗の孫にあたります。なお、田安家、一橋家、清水家の呼び名は、それぞれが居住した江戸城内の田安屋形、一橋屋形、清水屋形に由来します。