【べらぼう】安田顕が演じるユニークな「平賀源内」って、何をした人?
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鷹橋 忍
2025NHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめものがたり)〜」。当時の文化や時代背景、登場人物について、戦国武将や城、水軍などに詳しい作家・鷹橋 忍さんが深掘りし、ドラマを見るのがもっと楽しくなるような記事を隔週でお届けします。今回のテーマは、安田顕さんが演じる「平賀源内」です。
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>>2025年大河ドラマ【べらぼう】横浜流星が演じる「蔦屋重三郎」って、何をした人?NHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺」の第1回「ありがた山の寒がらす」、第2回「吉原細見『嗚呼(ああ)御江戸』」が放送されました。人気俳優の横浜流星さんが演じる主人公・蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう/蔦重)をはじめ、小芝風花さんが演じる花魁(おいらん)の花の井、渡辺謙さんが演じる老中(ろうじゅう)・田沼意次(おきつぐ)など、たくさんの魅力的なキャラクターが登場していますが、中でも第2回で詳しく描かれた安田顕さんが演じる平賀源内は、話題を集めました。
「天狗小僧」と呼ばれた幼少期
平賀源内は享保13年(1728)に、高松藩志度浦(香川県さぬき市志度)で、生まれたとされます。時の将軍は、八代・徳川吉宗です。寛延3年(1750)生まれの蔦重よりも、22歳年上となります。父は白石茂左衛門(良房)といい、高松藩の米蔵番を務める下級武士でした。禄高(ろくだか/給与)は低かったですが、農業を本業としていたと考えられており、比較的裕福だったようです。
幼少期から発明の才に恵まれていたのか、源内は数えで12歳の時に「御神酒天神」と称される、天神が描かれた掛け軸に御神酒を供えると天神の顔が赤く変わる「からくり」を作ったと伝えられます。
源内の発想力と器用さは人々を驚嘆させ、いつしか「天狗小僧」の異名がついたといいます。父は教育熱心で、源内は13歳から儒学と本草学を学びました(新戸雅章『江戸の科学者』)。
29歳で江戸へ
源内の父・白石茂左衛門が寛延2年(1749)に亡くなると、源内が家督を相続しました。源内、22歳のことです。家督を継いだ源内は、敬愛する遠祖の「平賀」姓を名乗るようになります。
源内も高松藩に出仕しますが、宝暦2年(1752)年、藩の許可を得て長崎に遊学します。これは破格の処遇でした。長崎での見聞に刺激を受けたのか、源内は江戸行きを望むようになったといいます。
源内は宝暦4年(1754)に藩を退役し、妹に婿養子を取らせて家督を譲ります。宝暦6年(1756)、29歳で源内は故郷をあとにし、大坂にて名高い医師で本草学者の戸田旭山(きょくざん)に師事した後に、江戸に出て本草学の大家である田村藍水(らんすい)の門に入りました。
源内の発案により、江戸・湯島にて薬品会(やくひんえ、物産会とも/正式名称は「東都薬品会」)が開催されるなど、入門早々から源内は頭角を現わしていきます。薬品会とは全国各地の薬種や物産の展示交換会のことで、博覧会の先駆けともいわれます。薬品会を通じて、源内は『解体新書』の訳業で知られる杉田玄白と知り合い、生涯の盟友となりました(新戸雅章『平賀源内「非常の人」の生涯』)。
若女形・二代目瀬川菊之丞(きくのじょう)との関係は?
江戸で活躍が伝わったのか、源内は宝暦9年(1759)9月、32歳で再び高松藩に召し抱えられましたが、宝暦11年(1761)に辞職します。
高松藩を辞した源内は宝暦12年(1762)閏4月、全国30余国から1300余点におよぶ展示物を集めた大規模な薬品会を企画プロデュースし、盛況を収めました。翌宝暦13年(1763)7月に、源内はこの薬品会の出品物の中から選んだ360種を分類・解説した『物類品隲(ぶつるいひんしつ)』を刊行します。
本草学者の道を邁進するのかと思いきや、源内は同年11月に戯作(江戸時代後期の通俗的な小説類の総称)である『根南志具佐(ねなしぐさ)』、『風流志道軒伝(ふうりゅうしどうけんでん)』を刊行し、人気を博します。ちなみに、『根南志具佐』は、愛希れいかさんが演じた元花魁・朝顔に蔦重が読み聞かせていた本です。花柳寿楽さんが演じた二代目瀬川菊之丞が登場し、地獄の閻魔大王に恋されます。
瀬川菊之丞は当時、大人気の若女形で、源内も贔屓にしていました。源内は生涯独身で、女嫌いを公言していたこともあり、瀬川菊之丞の愛人と噂されていたといいます(新戸雅章『平賀源内「非常の人」の生涯』)。