岸本葉子さんが選考委員【ゆうゆうエッセイ大賞】受賞作を発表!
【準グランプリ】「贖罪(しょくざい)の船」本多和子さん(東京都・72歳)
私は今、七十二歳である。自分より年長の一人暮らしのお年寄りにバースディカードや季節の便りを書いて送る地域のボランティアをしている。人とあまり話す機会がないお年寄りが喜んでくれれば嬉しい。
そんな私であるが、二十歳の頃の私はお年寄りに対して全く思いやりがなかった。親戚のお年寄りが家に来た時など、話の途中で肩に触れられたりすると、自分の若さが損なわれるような気がして避けようとしていた。そして、そういう生き方の延長として、外出先のデパートの食堂で、私のそばに座ったゆきずりの老婦人の心を傷つけるというあやまちをおかしてしまった。
日曜なのに当日の食堂は空いて涼しい風が吹いていた。常に都会の喧噪の中で忙しく仕事をする毎日だったので、解放感と独りの楽しさを、私は同時に味わっていた。
窓に近い席でメニュー表を見ていると、やがて想定外のことが起こった。一人の老婦人が、八十代半ばほどのベージュの洋装に身を包んだ鶴のような細身の老婦人が、おぼつかない足どりで私の方に歩いてきた。そして、思いつめたようなまなざしで私を見つめてから、すぐ隣の席に座ったのである。
二人連れの客のように私達は並んでしまった。「あれっ、ああああ」私は小さく叫んだ。他に空いている席はたくさんあるのに、どうしてこの老婦人は私にくっつくように隣の席に座ったのだろう。私の気持ちは混乱していた。いやだ、別の席に移ってほしい。この店では独りで過ごしたいと、強い口調で言いたかった。老婦人は片頬に微笑のように見える歪みを浮かべたまま、身じろぎもせず正面を向いている。
あれから何年も生き、自らも高齢となり、人生の様々な苦労を経た今ならわかる。彼女は淋しかったのだ。人恋しくて人のぬくもりがほしかったのだ。何でもいいから人間どうしの何気ないお喋りがしたかったのだ。しかし若かった当時の私には、孤独感でいっぱいになっている彼女の心が理解できなかった。
私は一緒にいてくれる相手を求めていた老婦人を受け入れず、無言で席を立った。老婦人は沈んだ声で、「あら、あんた悪かったわね」と呟いた。悪いのは私だ。思いやりがなく本当に申しわけなかった。
この世にタイムマシンがあれば、それを贖罪の船として乗りこみ、あの日あの時あの場所に戻りたい。そして、再会した老婦人に「お買い物ですか?」「お一人で暮らしていらっしゃるのですか? お偉いですねえ」などと若い娘ならではの優しい温かい言葉を今度こそたくさんかけてあげたい。
名も知らぬゆきずりの貴女、貴女はあの後、何年御存命でしたか? 私も七十代。この世の旅もあとわずかです。もしも同じ天国で巡り会えましたなら、私の頭の白髪に触れて、「あら、あんたもお婆さんになったのねえ」と、朗らかに笑ってくださったら嬉しいです。
準グランプリ受賞者コメント
本多和子さん(東京都・72歳)
このたびは準グランプリをいただき、とても光栄に思います。幾度も推敲を重ね懸命に書いたので、選んでくださる方の心に主旨が届いたこと、本当に嬉しいです。『ゆうゆう』にエッセイが載れば多くの方々に読んでいただけます。私の恥ずかしい失敗を他山の石として、お年寄りに温かく声をかける風潮が広まれば幸いです。
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撮影/大江 夢
※この記事は「ゆうゆう」2025年11月号(主婦の友社)の記事を、WEB掲載のために再編集したものです。
