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驚きの800km!【黛まどかさん】が語る「歩く旅」。サンティアゴ巡礼や四国遍路から得た人生の気づきとは?

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ゆうゆう編集部

スペインの巡礼路、四国遍路などなど、驚くような距離をすべて自分の足で歩き通してきた俳人の黛まどかさん。過酷な道を、黛さんはなぜ歩き続けるのでしょうか。

プロフィール
黛 まどかさん 俳人

まゆずみ・まどか●神奈川県生まれ。
1994年、「B面の夏」で第40回角川俳句賞奨励賞を受賞。
「歩いて詠む・歩いて書く」ことがライフワーク。
オペラの台本執筆、校歌の作詞など多方面で活躍。著書に句集『北落師門』など多数。

一歩一歩の大切さを体で感じる「歩く旅」

黛まどかさんの、この華奢な体のどこに、並外れた「歩く力」が隠れているのだろう。「子どもの頃から歩くのは好き」というが、黛さんが重ねてきた「歩く旅」は、過酷といって過言ではない旅ばかり。

スペイン・サンティアゴ巡礼、韓国・釜山‒ソウル間、二度の四国遍路。いずれも一日に歩く距離は十数キロから40キロ! 東京‒横浜間が直線で約30キロなので、相当な距離だ。

黛さんが歩き続けるのには、俳人としての思いがあるという。

「芭蕉の『奥の細道』を本当に理解するには、歩かなければいけない、とも思っていました。ただ、日本の道は開発で江戸時代とは違ってしまい、芭蕉が歩いたのと同じ道を歩くのは難しい。サンティアゴの道は、ほぼ千年前の状態で続いていると聞き、ぜひ歩いてみたいと強い憧れの気持ちがわきました」

サンティアゴへは、仕事をすべてやめ、帰ってきたら食べられなくなると覚悟して旅立った。

「『数回に分けて歩いては?』という人もいましたが、私は続けて歩くことを選びました。区切って歩くと足し算にしかならないけれど、続けて歩けばかけ算になる。疲れても弱っても歩かなくちゃいけない、そこを乗り越えたときにかけ算になるのではと思ったのです」

サンティアゴの巡礼道はフランスの町からピレネー山脈を越え、北スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラまで続く道。

「ピレネー山脈を越えたところで『あと700キロ』という道標を見たときは、こんなに歩いてきたのにと、茫然としました。それがゴールが近づくにつれ、終わってしまう寂しさに襲われて。サンティアゴ到着時には、この中のどの一歩なくしても到達できなかったと、一歩一歩の大切さを実感しました」

言葉は通じず、道に迷い、家畜の糞まじりのぬかるみを歩き、水のシャワーしかない宿に泊まり、靴の中で指が悲鳴をあげ、体中に痛みが……。さまざまな困難があったが、美しい風景の中を歩き、人々のあたたかい心にふれ、数多くの出会いも。

「途中、一緒になった各国の巡礼者との出会いは素晴らしいものでした。苦しみと喜びに満ちた忘れがたい旅になりました」

黛まどかさんが歩いた祈りの旅ヒストリー① スペイン・ サンティアゴ巡礼(1999年 5月~7月)800km

パウロ・コエーリョの小説『星の巡礼』との出合いがきっかけで歩いた、キリスト教の巡礼の道。苦しみとともに多くの喜びも。

巡礼の木蔭小さく分け合へる

驚きの800km!【黛まどかさん】が語る「歩く旅」。サンティアゴ巡礼や四国遍路から得た人生の気づきとは?(画像4)

千年以上もの間、人々が歩き続けてきた道。続く麦畑に、この道でいいのかと不安に。

出立地のフランスの町を出て、最初にして最大の難所、ピレネー山脈を越えるとスペインの広大な高原、メセタ台地が広がる。一面、麦畑の中、続く巡礼の道。「ものすごい暑さの中、ずっと麦畑の中を歩き、やっと遠くに一本の木が見えてきて。近づくと木陰には巡礼者がいっぱい座り込んでいて、新たに到着した人に場所を譲ってくれるんです」。昔も今も、巡礼の途中で命を落とす人もいる過酷な道。多くの「一期一会」が。

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