25年前の貴重な表紙を公開!【加藤登紀子さん・81歳】激動の時代を経て語る「ゆだねる」ことの心地よさとは?
原点ハルビンで迎えた人生第4幕の幕開け
「帰農塾」の講師の人選も加藤さん自ら行った。また、地元で産業廃棄物処理場の建設計画が持ち上がったのを機に、「環境問題の学校をやろう」と提案、講師にC・W・ニコルさんや嘉田由紀子さんを招いて学ぶ場を設けた。もちろん歌手活動も行いながらである。
「エネルギッシュよね(笑)。でもたくさん泣きもしましたよ。農業をやる気がないわけではなかったので、もう少し早く夫と手を携えて一緒にやればよかったんじゃないかとも思いました。でも、バトンは前を走っている人が手離さないと、次の人が持てないのよ。だからやっぱり、彼がいなくなって初めて本腰を入れたんです」
UNEPの活動でも発見があったと言う。
「南太平洋の9つの環礁から成るツバルという国があります。高床式の住居に住んで珊瑚の上を裸足で歩く―そんな暮らしを送っている場所でも液晶テレビがあり、インターネットがつながっている。あるいはブータンの山奥の少年に会うと、音楽はiPodで聴いていると言うんです。そんなふうに世界の隅々まで現代化しているというのが発見の一つ。もう一つの発見は、2010年にはあったウズベキスタンのアラル海という湖が消えてしまったように、環境の変化がどんどん進んでいるということ。トンガでは、これまでゴミはすべて海に捨てていたんです。でも最近は自然にかえらないゴミが多くてそれが山となっている。特に多いのが紙オムツ。多様性の時代と言うけど、そうじゃない。あらゆる国のあらゆる次元の生活がほとんど同じになっているんです。そのことがよくわかりました」
そうした経験から「ものごとを自分でちゃんと判断しなきゃいけない」と思うようになり、新聞の切り抜きを始めたという。「環境」「国際社会・政治」「文化」の3ジャンルに分けてファイルし、25年間ずっと定点観測を続けている。東日本大震災、コロナ禍などで窮地に陥ることがあっても、加藤さんは流れに逆らわず、しかしプラス方向に舵を切って全力で人生という船を漕いできた。
父が生前よく、『人生はおもろないといかん』と言っていたんです。そして母は、どんなときもくよくよしないで新しい道を見つける人でした。その影響かしらね。私も自分の人生、何があっても面白いって思います(笑)」
人生は75歳からが第4幕だと考えている。そう意識的に決めて、75歳の誕生日は家族とともに、原点である生まれ故郷の中国・ハルビンで迎えた。デビュー60周年であり戦後80周年の今年は、そのハルビンで念願のコンサートを開催することができた。
「4幕目を意識したことで、自分が生まれてからのすべてのことを、一つの物語としてまとめる気持ちになりました。そういう気持ちで60周年を迎えられたことはよかったですね。今年ハルビンを訪ねたとき、市街を流れるスンガリ川のほとりに立って、しばらくその流れを見ていました。川はただ、せっせと流れているんですよ。どこに流れていくかなんて知らないし、気にしていない。その、気にしていない感じがいいのよね。人間も、自分の意思や誰かの意思にとらわれ過ぎずに流れに身をゆだねてみたら、変わってくるんじゃないかしらね。
眠くなったら寝て、朝が来たら起きて、そういう自然な命のサイクルをますます大事にして生きていきたい。25年を経て、今いちばん思うことはそれですね」
【75歳】今、人生の4幕目。蒔いた種が50年後に花開くような歌手人生を全うしたい
『ゆうゆう』2018年5月号
人生の4幕目が開いたというこの時期、これからの夢を「音楽で世界地図を描くこと」と語っている。歌とは種を蒔くこと。その生命の種が芽吹く日を信じて歌っていくのだと。
2025年も歌って締めくくります
60周年記念コンサートツアーに続き、年末恒例「加藤登紀子ほろ酔いコンサート2025」を今年も開催。12月6日(土)京都劇場から、28日(日)大宮ソニックシティ大ホールまで全国6カ所を回るツアーです。詳細は加藤登紀子公式サイト「TOKIKO WORLD」で確認を。
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撮影/山田崇博
※この記事は「ゆうゆう」2025年12月号(主婦の友社)の記事を、WEB掲載のために再編集したものです。
