「タイガースはいつも楽屋で寝てましたね」と言われた、日本一のバンドの舞台裏【79歳・森本太郎さんのターニングポイント#2】
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藤岡眞澄
「タイガースはいつも楽屋で寝ていたね」と言われました
——上京してバンド名を「ザ・タイガース」に改称。1967年2月5日には『僕のマリー』でレコードデビュー。今では考えられないスピードでデビューし、しかも瞬く間に人気が爆発していきました。
「タイガース」はデビュー直前から、裕也さんの誘いで「日劇ウエスタンカーニバル」に出演させてもらったんです。「ザ・スパイダース」とか「(ジャッキー吉川と)ブルー・コメッツ」とか、GSの先輩バンドも競演する憧れのステージでした。
でも、裏を返せば、ファンの取り合いみたいなもの。歓声が人気のバロメーターなんです。「タイガース」が出るとファンの歓声がガーッと大きくなったり、入り待ち出待ちが集まるようになって、「すごく人気が出たな」ということは実感できました。
「スパイダース」の堺正章さんがよく言っているけれど、「タイガースに『プロの道は厳しいぞ。よく考えたほうがいい』とアドバイスしたら、半年後にはスパイダースを追い抜いていった」と。
だから、日劇に誘ってくれた裕也さんは「タイガース」の恩人です。
——「日本一のバンドになる」という目標が叶う中、メンバーはどんな心境だったのでしょう?
とにかく忙しすぎた。テレビはもちろん、ラジオのゲスト出演も各局いっぱい。それに芸能誌の取材や表紙、グラビア撮影……。
中でもTBSの「ヤング720」は朝の7時20分から生番組で1曲、ライブ演奏するんです。朝が終わったと思ったら、テレビ番組の収録が始まる。だから、カメリハ終わったら楽屋に帰って寝て、ランスルーをやったらまた寝て、本番直前に起きてメイクして。
テレビが終わったら、夜10時くらいから映画の撮影が始まる。『世界はボクらを待っている』の撮影があったときはキツかった。
——寝る時間がほとんどとれない毎日ですね。
渡辺プロの先輩から「タイガースはいつも楽屋で寝ていたね」と言われます。
寸暇を惜しんで休む。それを体が覚えているから、僕はいまでも電車とかバス、飛行機に乗っても、どんな体勢でもすぐに寝られます(笑)。
——テレビ画面からは、裏でそんなたいへんな思いをしていることは感じられませんでした。
アマチュア時代は遊びながらやっていた、みたいな感覚がどこかにありました。
でも、プロの世界は厳しいし、余りにもたくさん入ってくる仕事のすべてを、マネジャーの言うとおりに動かなければいけない。それがエンターテインメント・ビジネスだと今なら理解できます。でも、まだ若いのに自由がない、という思いは募っていきましたね。
