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「タイガースはいつも楽屋で寝てましたね」と言われた、日本一のバンドの舞台裏【79歳・森本太郎さんのターニングポイント#2】

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藤岡眞澄

——のちに作詞作曲された『夢追いかけた若い日』の2番の歌詞が、まさに当時のリアルな心境なんですね。

あれは、“ザ・タイガース物語”のような曲。僕の作品でいちばん好きな曲、とサリーが言ってくれている曲です。

おそらくファンの皆さんはテレビを見て、表面的なかっこよさや5人は仲がいいだろうというイメージを抱いていたと思います。

でも、実際はいつもメンバーで一緒にいるのが疲れてきたりもしていました。向かうべき方向がお互いにちょっとずつ違う、とチームワークが上手くいかなくなった。バンド内の確執、ですね。

——そんな葛藤の中でも、楽しかった思い出は何ですか?

日本人のワンバンドとしては初めて日本武道館でコンサートをしたこと、後楽園球場で最初にスタジアム・ライブを開催できたこと……。 

いろいろあるけれど、当時の僕らは「今日のステージ、頑張らないといけないんだ」という日々の中の1コマだったんです。「すごいね」と言ってもらえるのはありがたいけれど、それがどれほど評価されているのかは、僕らには一切わからない。

——評価を味わう時間すらなかった、ということですね。

プロになって売れる、って、もっとうれしいものなのかと思っていたけど、実際は違った、ということです。

NHKの「SONGS」にジュリー、サリー、ピーと僕の4人で出演したとき(2012年1月)、僕は「一番楽しかったのは、やっぱりファニーズの頃だね。タイガースじゃなくて」と言った記憶があるんです。「タイガース」時代は、大変だったことのほうが多かった。

森本太郎さんのターニングポイント②
アマチュア時代は遊びながらやっていたから、楽しかった。だがプロは厳しい。プロになって売れるって、もっとうれしいものなのかと思っていたけど、実際は違った。タイガース時代は、大変だったことのほうが多かった。

森本太郎さん Profile

森本太郎●ザ・タイガースの元メンバー 
ギタリスト・作詞家・作曲家・音楽プロデューサー
1946年、京都生まれ。1967年に「ザ・タイガース」のギタリストとして『僕のマリー/こっちを向いて』でデビュー。ザ・タイガースの8枚目のシングルに収録された『青い鳥』では作詞作曲を担当し、自作の一曲として高く評価されている。解散後は、「タローとアルファベッツ」「森本タローとスーパースター」などのバンド活動やソロ活動、作詞作曲、音楽プロデュース業を精力的に展開。1981年のタイガース再結成にも参加し、現在も幅広く音楽活動を続けている。愛称は「タロー」。
森本太郎 公式サイト

撮影/橋本哲

▼次回は、武道館解散コンサートの日について伺います▼

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