ダウン症の天才書家・金澤翔子の微笑みの秘密!母が語る特別な絆とは
世界各地で個展や公演を開催する、ダウン症の書家 金澤翔子さんが表現する書。翔子さんを世界の舞台で活躍する書家へと導いた、母であり書の師匠である、金澤泰子さんの文。母と子が奏でる、筆とペンの力をじっくりとお楽しみください。
翔子の微笑み
シュールでラビリンスのような思考回路を持つ翔子の周りは、つねに笑いに満ちている。チェコで翔子の個展が開催された時、カレル四世のお城にお招きいただいた。テレビ撮影が許され、カメラとともに天使が導く階段を上って、最上階の神聖な「天国の間」へ。王冠と聖人の絵、聖遺物の前で、翔子ひとりだけが神に祈ることを許された。スタッフ皆がかたずをのんで、翔子の祈りを待った。
厳かに緊迫した空気の中で翔子は跪(ひざまず)き「神様、奇跡を起こしてください」と祈り始めた。どんな奇跡を起こしてくれと言うのだろう。皆、緊張して耳を澄ませた。すると「神様、奇跡で私を痩せさせてください」という言葉が聖堂になり響いた。この重大な場所で、この緊迫した中で、「痩せさせてください!」とは。聖堂で皆が笑ってしまった。
翔子は仕事でよく新幹線に乗る。グリーン車のチケットを買ってあげても「自由が欲しいのよ!」「自由席がいいのよ」と言い張る。自由席の自由と、フリーダムの自由を取り違えている。グリーン券を蹴って、自由席の車両にひとり嬉しげに消えてゆく。
様子を伺うと、車内販売のお姉さんにコーヒーを「ブラック!」と言って頼み、短い脚を組んでブラックコーヒーを飲み、大人になった気分で、自由を満喫。居心地の良いグリーン車の席を捨て、狭い通路側の自由席に座って至福の境地。社会的な価値観を持たない翔子は、何にも囚われず、何処でもいつでも自由自在。足を無理に組んでコーヒーを飲む姿を見ると、つい笑ってしまう。
翔子はいつも微笑(ほほえ)んでいる。この微笑がいろいろな局面で私を救った。ゆりかごの中で初めて頬を染めて微笑んだ時、私はその微笑のメカニズムに神技を見て、人間の尊さを実感した。
障害児を授かって悲嘆に暮れ泣いていた時、私の涙を小さなお手々で拭(ぬぐ)い微笑み、苦しみを和らげてくれた。翔子を叱ったりする今も、私に微笑みかけて心の闇を吹き飛ばしてくれる。
幼い頃はこの不思議な微笑みも障害の重さの証しの様に思えて悲しかった。しかし私はこの微笑みがいつか世界を救う時が来ると予感する。競争や不安に満々ている現代、これらのマイナスのエネルギーが器からあふれ出て、人々が調和を求め始める時、知的障害者が放つ「無償の微笑み」がやがて世界を救うと私は考える。
金澤泰子 ● かなざわ・やすこ
書家。明治大学卒業。書家の柳田泰雲・泰山に師事し、東京・大田区に「久が原書道教室」を開設。ダウン症の書家・金澤翔子を、世界を舞台に活躍する書家へと導いた母として、書の師匠として、メディア出演や本の執筆、講演会などで幅広く活躍。日本福祉大学客員教授。
金澤翔子 ● かなざわ・しょうこ
東京都出身。書家。5歳から母に師事し、書を始める。伊勢神宮など国内の名だたる寺社や有名美術館の他、世界各地でも個展や公演を開催。NHK大河ドラマ「平清盛」の題字や国連本部でのスピーチなど活動は多岐にわたる。文部科学省スペシャルサポート大使、紺綬褒章受章。昨年12月、大田区久が原に念願の喫茶店をオープンした。 今年は書家デビュー20周年の記念の年となる。
文/金澤泰子 書/金澤翔子
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※この記事は「ゆうゆう」2026年2月号(主婦の友社)の内容をWEB掲載のために再編集しています。
