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「結局、妻の言うとおりにすると物事はうまくいく。そこが、ちょっと悔しい(笑)」【笠井信輔さんのターニングポイント#2】

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藤岡眞澄

ナンシー関さんが彫った僕の顔の版画が……!

——しかもその3カ月後には、夕方の新ニュース番組『ザ・ヒューマン』のメインキャスターに就任します。露木さんの後継、という立場でしたね。

当時はまだ31歳。あまりに一足飛びだったので、自信がない、と断ろうかと思ったのですが、ありがたく引き受けました。でも、そんなに世の中、甘くはない。視聴率が全く上がらないんです。

そんなとき、消しゴム版画で一世を風靡していたナンシー関さんが、僕の顔に「僕がキャスター」と一言添えた版画が雑誌に載ったんです。メインキャスターとしての僕のレベルは、大学生の放送委員会並みに低い、と書き添えてありました。さすがに落ち込みました。

ところが、妻の受け止めは違ったんです。「ナンシーさんに注目されるっていうことは大変なことなのよ。普通はどんな局アナだって、スルーされちゃうんだから」ですからね。おかげで、なんだかナンシーさんに感謝したい気持ちになっちゃいました。

——1年で番組終了と同時に、『ナイスデイ』の総合司会としてワイドショーに復帰しますが、こちらも1年で番組が終了しましたね。

僕が担当するとすぐ番組が終わる、ということで、「笠井は幕引きアナ」と言われていました(笑)。

——それでも、翌1999年には『情報プレゼンター とくダネ!』のサブ司会者に就任。メイン司会者の小倉智昭さんとは約20年という長い年月をともに過ごされました。

メインからサブになる、ということで小倉さんは「笠井くん、僕の下でほんとうにいいのか?」と意思確認をしてくださったんです。

しかも、「30分のニュースコーナーをニュースデスクとして担当してほしい。朝の『ニュースステーション』を作りたいんだ」と。政治、経済などのネタ集めから演出まで僕が最終的に責任を持つ、と聞いて、これはおもしろいと引き受けました。

ワイドショーアナウンサーというのは、全国ニュースのリポーター。鉄砲玉みたいに現場に飛んでいく、というのが僕のスタイルなので、日本全国47都道府県すべてに取材に行っています。

特に、東日本大震災(2011年)のリポーター経験を積んだことはとてつもなく大きな糧になって、いまの自分を作っているのは間違いないですね。

——震災報道の経験を『僕はしゃべるためにここへ来た』(産経新聞出版/2011年)という本にもまとめられていますね。

小倉さんのおかげでニュースデスク兼出演者、という新しいステップが開けた。本も出せた。しかも、会社に首を斬られることによって自分の向かいたい方向にステップアップしていく、というちょっと変わったサラリーマン人生なんです。

でも、こうして振り返ってみると、僕の最大のターニング・ポイントは妻と結婚したことだと思います。

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