「結局、妻の言うとおりにすると物事はうまくいく。そこが、ちょっと悔しい(笑)」【笠井信輔さんのターニングポイント#2】
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藤岡眞澄
「よく休んだ」というお褒めの電話が続々と!
——結婚されたのは1990年6月ですから、35年以上になりますね。
大学3年生のとき、アナウンススクールで同じクラスになったのがきっかけです。当時の妻はアナウンサーになる、という野心みたいなものがあまり感じられない、おとなしくてかわいらしい子という印象でした。
結局、彼女はテレビ東京に入社したんですが、アナウンサー職としての採用がなかったので、最初の配属は社長秘書だったんです。
ところが、僕は彼女の外面しか見ていなかったんですね。社長に直訴して、なんと報道記者になったんです。
すると、第1子は立ち会い出産にしたいから僕に番組を休んでほしい、と言い出した。
——笠井さんにとってはある意味、職場放棄の提案ですね?
妻の主張は「人間、死んだときはみんな集まるのに、生まれるときは母親一人なのはおかしい」と。1994年当時、民放、NHK通じて、ワイドショーの男性アナウンサーが立ち会い出産で番組を休むなんて誰もやったことがありませんでした。
ところが、プロデューサーは「それなら産院から電話中継して、自分の言葉で番組を休んだ理由を説明しろ」と言う。視聴者からどれほどのお叱りをいただくのか、それは怖かったです。
でも、放送直後から続々届いたのは、「よく休んだ」というお褒めの電話やファックス。“イクメン”なんて言葉はまだありませんでしたが、「夫が妻に寄り添うことが素敵」と思うような時代の流れが芽生え始めたことに気づかせてくれたのは、妻でした。
それからは、アナウンサーの人気ランキングには入らないのに、育児雑誌の理想のパパランキングには入ったり、男女共同参画事業の講演会に呼ばれたりしました。
——茅原さんは出産後にアナウンス室に異動して、ママアナ第1号になりましたね。
妊娠するとアナウンス室から異動させられる、という時代に、逆コースを歩んだ人。自分で進撃して報道記者になり、アナウンサーになり、昼のニュースキャスターになった。しかも、3人の子どもを育てながら、ですからね。妻の人生もなかなかにアグレッシブです。
結局、僕にとって妻は羅針盤のような人なんです。人生の荒波を航海するうえでの一つの頼り。ときには羅針盤が右へ行けと言っても、船長の僕が左に舵を切るときはあるんです。
でも、結局は妻の言ったとおりにしたほうがうまくいくことが多いのが僕の人生であって、そこはちょっと悔しいけれど、仕方がないですね(笑)。
笠井信輔さん Profile
かさいしんすけ●フリーアナウンサー
1963年、東京都生まれ。早稲田大学を卒業後、アナウンサーとしてフジテレビに入社。「とくダネ!」など、おもに情報番組で活躍。2019年10月、フリーアナウンサーに転身。直後、ステージ4の悪性リンパ腫に罹患していることが発覚。12月より入院。ブログで闘病の様子を綴った。2020年6月に完全寛解し、その後仕事に復帰。著書に『僕はしゃべるためにここ(被災地)へ来た』(産経新聞出版)(新潮文庫)、『生きる力~引き算の縁と足し算の縁~』(KADOKAWA)など。
笠井信輔さんのターニングポイント②
僕の最大のターニング・ポイントは妻と結婚したことだと思います。僕にとって妻は羅針盤のような人。結局は妻の言ったとおりにしたほうがうまくいくことが多い。そこはちょっと悔しいけれど、仕方がない(笑)
撮影/橋本哲
▼次回は、フジテレビからの独立、直後に始まった闘病生活について伺います。▼
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