【虎に翼】寅ちゃん(伊藤沙莉)のモデル 三淵嘉子さん 誕生〜30代の半生をたどる。「真剣に生きるため」に選んだのは?
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鷹橋 忍
初の女性合格者、初の女性弁護士に
嘉子は昭和13年(1938)11月、高等試験司法科(現在の司法試験)をはじめての受験で突破し、田中正子(のちの中田正子)、久米愛とともに、初の女性合格者となります。
そして、一年半の修習を終えた後に、昭和15年(1940)12月、第二東京弁護士会に弁護士登録。
これをもって正式に、初の女性弁護士の誕生となりました。嘉子、26歳の時のことです。
結婚と出産
嘉子は昭和16年(1941)11月5日、28歳になる一週間前に、結婚しました。
お相手は、父・貞雄の中学時代の親友の親戚で、武藤家で一時期、書生をしていた和田芳夫です。
ドラマの寅子の結婚相手・仲野太賀さんが演じた佐田優三も、猪爪家の書生として登場しましたね。
嘉子は「和田嘉子」となり、池袋のアパートで新婚生活をスタートさせ、昭和18年(1943)1月1日に、長男の和田芳武が誕生しています。
ドラマの寅子は娘・優未を授かっていますが、嘉子の実子は芳武のみです。
夫と父母の死
嘉子と芳夫は幸せな日々を送っていたようですが、戦争が二人を引き裂きます。
昭和20年(1945)1月、芳夫は出征し、終戦の翌年の昭和21年(1946)5月23日、長崎の陸軍病院で病死してしまいます。
さらに翌昭和22年(1947)1月19日には母・ノブが、同年10月28日には父・貞雄も他界します。
桂場等一郎のモデルに「裁判官採用願」を提出?
夫の死により、嘉子は経済的自立を考えなければなりませんでした。
そのとき嘉子は、「真剣に生きるための職業を考えたとき、私は弁護士より裁判官になりたいと思った」と述べています(三淵嘉子さんの追想文集刊行会編『追憶のひと三淵嘉子』所収 三淵嘉子「私の歩んだ裁判官の道——女性法相の先達として——」)。
当時、司法官(裁判官、検察官)になった女性はいませんでしたが、同年(昭和22年)3月、嘉子は司法省人事課に赴き、「裁判官採用願」を提出します。
これを受け取ったのが、人事課長で、のちに最高裁判所長官となる石田和外です。石田は、松山ケンイチさんが演じる桂場等一郎のモデルではないかといわれています。