【養老孟司先生、がんになる】教え子の医師がすすめる「やらないと損する」がん検診とは?
養老先生は90歳の壁を超えられるか?
私は、がんの経験者です。早期でしたが、がんは「死のにおい」のする病気ですから、治療後は1日1日を大切に生きようと、今までよりも少し高いワインを飲むようになったりしました。しかし、今は元の値段のワインに戻っています。「すぐには死なないだろう」という状況に、だんだん慣れてきたのだと思います。
『養老先生、病院へ行く』のあとがきで、野良猫の養老先生が、大病を経験したことで家猫になったけど、また野良猫に戻って行ったと書きましたが、それと同じです。
がんの手術の直後は、生きることについていろいろ考えるけど、日がたつにつれて易きに流れていく。人間はそういうものだと思います。
本書の編集者が養老先生を取材した際、90歳まで生きられれば、虫の標本づくりなど予定していたことが終えられる、ということを言っていたと聞きました。
養老先生がどのくらい生きられるかは誰にもわかりません。治療は非常にうまくいっていますが、小細胞肺がんは、私が経験した膀胱がんよりも、はるかに転移しやすい性質をもったがんです。
第2章で述べたように、私のがんは10年くらいまでは再発することがあるため、今も半年に1回、内視鏡を膀胱に入れて検査しています。
がんの治療は、いったん治癒したからといって気を抜けません。再発のリスクが常につきまとうからです。
ですから、がんの治療は長期戦にならざるをえません。5年生存率を治癒とみなすがんであっても、5年間は定期検診を続けなければなりません。
養老先生も小細胞肺がんであることを特定して、抗がん剤治療を終えるまでに約4カ月を要しています。
その後は、3週間の放射線治療が始まります。その後は、養老先生が受け入れるのであれば、予防的全脳照射を行うかもしれません。
付記
肺への放射線治療を始める前に、養老先生から予防的全脳照射はやらないというお返事をいただきました。『唯脳論』などの著作もある養老先生にとって、脳はとても大事な臓器であるようです。
全脳照射をやらない代わりに、定期的に脳のMRIを撮って、転移の有無を確認する検査を行っていきます。
※この記事は『養老先生、がんになる』養老孟司・中川恵一著(エクスナレッジ)の内容をWeb掲載のため再編集しています。
著者プロフィール
養老孟司 Yoro Takeshi
1937(昭和12)年、神奈川県鎌倉生まれ。解剖学者。東京大学医学部卒。東京大学名誉教授。1989(平成元年)年『からだの見方』でサントリー学芸賞受賞。新潮新書『バカの壁』が大ヒット、450万部超えのベストセラーとなる。また新語・流行語大賞、毎日出版文化賞特別賞を受賞した。『養老先生、病院へ行く』『唯脳論』『かけがえのないもの』『手入れという思想』『ヒトの壁』『まる ありがとう』『ものがわかるということ』など著書多数。
中川恵一 Nakagawa Keiichi
1960年(昭和35)年、東京都月島生まれ。東京大学医学部医学科卒業後、同大学医学部放射線医学教室入局。社会保険 中央総合病院放射線科、東京大学医学部放射線医学教室助手、専任講師、准教授を経て、現在、東京大学大学院医学系研究科 特任教授。2003年~2014年、東京大学医学部附属病院緩和ケア診療部長を兼任。共・著書に『医者にがんと言われたら最初に読む本』『養老先生、病院へ行く』『人生を変える健康学 がんを学んで元気に100歳』など多数。
▼あわせて読みたい▼
>>「養老孟司先生、がんになる」初めて自らのがんを明かした心境は—虫法要でのあいさつ全文を紹介 >>多発性骨髄腫と闘う宮川花子「お笑いの先輩や仲間が私のダメなところを少しずつ変えてくれた」 >>【宮川大助・花子】「介護施設に入るから」という言葉をのみこんだ宮川花子。おしどり夫婦がぎくしゃくした瞬間とは?養老先生、がんになる
養老孟司・中川恵一著
エクスナレッジ刊
心筋梗塞から4年。奇跡の生還を遂げた養老孟司先生が、がんになった。
2024年5月から始まった抗がん剤治療、6月の建長寺虫供養、7月~8月の虫展開催に向けて準備をしながら、再度の入院。そして放射線治療。
教え子で自らもがんの、東大病院放射線科医師の中川恵一先生が、養老先生のがんについてくわしく解説。もうすぐ87歳になる養老先生が、がんと闘いながら自らの老いと向き合ったシリーズ最新刊。担当医のコメントや、家族の声も初公開。
※「詳細はこちら」よりAmazonサイトに移動します(PR)