【坂東玉三郎さん】「いいと思ったら終わり」 養父からの教えを胸に、今なお芸を磨き続ける
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ゆうゆう編集部
当代きっての女方として絶大な人気を誇る歌舞伎俳優、坂東玉三郎さん。豪華キャストによる新作シネマ歌舞伎『ぢいさんばあさん』が1月3日から公開されました。作品への思いや共演者とのエピソード、舞台芸術の魅力などを語っていただきました。
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PROFILE
坂東玉三郎 歌舞伎俳優
ばんどう・たまさぶろう●1957年に初舞台を踏む。
64年、十四世守田勘弥の養子となり、歌舞伎座『心中刃は氷の朔日』のおたま他で五代目坂東玉三郎を襲名。歌舞伎界を代表する女方として独自の世界を展開し、高い評価を得る。
2012年、重要無形文化財(人間国宝)に認定される。
13年フランス芸術文化勲章最高章「コマンドゥール」、14年紫綬褒章を受章。他、受賞多数。
常に満足しない部分を探しています
梨園の生まれではないにもかかわらず、類まれな美しさと秀でた表現力で立女方としての地位を確立。歌舞伎のみにとどまらず、歌唱や演出など多方面でその才を発揮してきた坂東玉三郎さん。
初舞台は1957年。64年、十四世守田勘弥の養子となり、五代目坂東玉三郎を襲名した。
「養父は芸に厳しく、私をほめてくれたことはありませんでした。今でも心に残っているのが、『いいと思ったら終わりだよ』という言葉。満足したら役者は終わり。父も自分にもいいと思った時期があったようで、失敗したと話していました。だからおまえに同じ思いはさせられない、と。そのくらい苦い経験をしたのでしょうね」
以来、養父からの教えを胸に、芸を磨き続けてきた。
「安住したいけれど、安住したら終わり。次の仕事に向かうときは、いつも『満足しない部分はあるだろうか』を考え見つけていきます。それは私だけでなく、その時代時代を飾ってきた名優たちだって、必ずしも自分に満足はしていなかったんじゃないかと思います。たとえば、(市川)雷蔵さんはこれでいいとは思わずに、常により高みにある自分を探していたのではないか。だから映像で見たときに、押しつけがましくない、ナイーブなものが出てくるんじゃないかと思います。グレタ・ガルボだって、あんなに一世を風靡(ふうび)したけれど、決して満足してはいないのでは。もちろん『椿姫』では美しく、観客を満足させるカットが撮れて、それは作品として完璧だけれど、当人としては何かが違うと思っていたからこその演技だったのではないかと思うんです」
そして、これは芸能分野だけに限った話ではない、と玉三郎さん。
「企業だって、そして人生だって、これでいいと思ったらもうそこで終わりじゃない?」
歌舞伎俳優としてのキャリアは60年以上。現在は舞台に立つかたわら、後進の育成にも努める。
「私も若い方たちをほめることはしませんね。『よかったよ』と言って成長が止まってしまっては、彼らのためになりませんから。よかったときに『いいよ』と言えないのは苦しいですが、その代わりに『そのまま進んで』と伝えています。彼らに何か足りない部分があるときも、不安な気持ちで舞台に出て、苦しい思いをしている人に『ダメだよ』とは言えません。だから『心を安定させて、全力を尽くして』と伝えます」