【べらぼう】吉原の女将たちはなぜ眉がないのか? 江戸時代の化粧法とは?
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鷹橋 忍
横浜流星さんが主人公・蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう/蔦重)を演じる、2025年NHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめものがたり)〜」。当時の文化や時代背景、登場人物について、戦国武将や城、水軍などに詳しい作家・鷹橋 忍さんが深掘りし、ドラマを見るのがもっと楽しくなるような記事を隔週でお届けします。今回は、吉原の遊女の化粧を中心に取り上げます。
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江戸時代初め頃の吉原の遊女たちは「超薄化粧」だった
江戸時代の化粧は、白粉、眉墨、お歯黒、紅だけで、色は白、黒、赤の3色のみでした(ポーラ文化研究所『おしゃれ文化史 飛鳥時代から江戸時代まで』)。
江戸時代初めの吉原の遊女たちの化粧は、粉を薄くはたいた程度だったといいます(髙木まどか『吉原遊廓―遊女と客の人間模様―』。この頃は、自然な美しさが尊ばれていたのです。
江戸時代後期、高級遊女たちはいわば「ファッションリーダー」となり、ファッションリーダーとしての化粧は、白粉をふんだんに塗り、眉墨を引き、紅を濃くさすという、豪華な衣装に引けを取らない濃い化粧だったされます(安藤優一郎監修『江戸の色街 遊女と吉原の歴史』)。
吉原の女将たちは、なぜ眉を剃り落としている?
水野美紀さんが演じる松葉屋の「いね」や、安達祐実さんが演じる大黒屋の「りつ」、かたせ梨乃さんが演じる二文字屋の「きく」など、女郎屋の女将たちが揃って眉を剃っているのに、違和感を覚えた方も多いのではないでしょうか。
江戸時代の庶民の女性は、娘時代は自由に好きな形の眉を描いていました。しかし、懐妊後あるいは出産後には、眉をすべて剃るのがルールだったといいます。
ですが、歌麿などの浮世絵で、赤子に授乳する母親など、本来は眉がないはずの既婚、子持ちと思われる女性に、眉が描かれているのを見たことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。これは、眉がないと老けて見えるため、20歳以上30歳以下の既婚婦人は、眉を剃っていても眉を描くという約束事が、浮世絵師の間にあったからだといいます(村澤博人『顔の文化誌』)。
また、庶民の女性が剃るのみだったのに対し、上流階級の女性はある程度の年齢に達すると眉を剃り落とし、家々の礼法にのっとり、定められた形の眉を描きました(山村博美『化粧の日本史-美意識の移りかわり-』)。
お歯黒をする意味合いとは?
江戸時代の女性は、婚約、あるいは結婚の前後を機に、お歯黒をしました。黒は他のどんな色にも染まらないことから、「貞女二夫にまみえず」の印として、お歯黒をしたともいわれます。
ドラマでは描かれていませんが、吉原の遊女たちも歯を黒く染めていました。新造(遊女見習い)がはじめて客を取ることを「突出し」と称しますが、吉原においてお歯黒をするのは、この突出しの日からでした。吉原におけるお歯黒とは、一人前の遊女となった証なのです(安藤優一郎監修『江戸の色街 遊女と吉原の歴史』)。
また、遊女が「客の一晩だけの妻」になるという意味から、歯を黒く染めたという説もあります(谷田有史・村田孝子監修『江戸時代の流行と美意識 装いの文化史』)。
お歯黒は「お歯黒水」と、染料である五倍子(ふし)で作ります。お歯黒水は、鉄片を米のとぎ汁や茶の汁、酢の中に浸して密封し、2~3カ月置いて発酵させたものです。褐色に濁っており、強烈な刺激臭を放ちました。このお歯黒水と五倍子の粉を、交互に歯に塗るのです。意外なことにお歯黒には、歯を強くし、虫歯や歯槽膿漏を予防する効果もありました。
また、江戸時代において「白歯」は娘を指し(村澤博人『顔の文化誌』)、遊女が年季が明けて素人の女性になったことを、「白歯になった」と称しました(永井義男『図説 吉原事典』)。
江戸時代の美人の第一条件は?
江戸時代において、美人の第一条件は肌の色の白さでした。ですので、白粉化粧は非常に重要視されました。
江戸時代の化粧書『都風俗化粧伝(みやこふうぞくけわいでん)』(佐山半七丸著・速水暁斎画/日本図書センター『婦人文庫 3』所収)の「白粉をする伝」には、白粉の化粧法が詳しく記されています。
要約すると、以下の通りです。
白粉を水で丁寧にとき、額に少しつけて、指でむらにならないように伸ばします。その後も、両頬、鼻、口のまわり、耳、首筋、喉の順に一カ所ずつ白粉をつけては指で伸ばしていくのを繰り返します。
次に、顔につけた白粉を水でぬらした刷毛で伸ばしていきます。続いて、顔に半紙(和紙)を当てて、その上から水でぬらした刷毛で何度も刷いて白粉をよく馴染ませた後に、今度は乾いた刷毛に粉白粉をつけて、顔にむらなく伸ばしていきます。
仕上げに、少し湿らせた手ぬぐいで瞼の上や目尻をそっと押さえて白粉を薄くし、厚化粧に見えないようにします(現代語訳 山村博美『化粧の日本史-美意識の移りかわり-』参照)。
なかなか手間がかかる化粧法ですね。それだけ江戸時代の女性にとって、白粉化粧は大切なものだったのでしょう。
江戸時代の美人の条件として、色白の次に大事とされたのは、「鼻筋が通っている」と形容されるようなほどよい鼻の高さでした(村澤博人『顔の文化誌』)。白粉を鼻筋に濃くつけることで、鼻を高く見せる化粧法もありました。
鼻の次に大事とされたのが目です。現代では、目はパッチリと大きいほうが好まれる傾向にありますが、江戸時代は違ったようです。
前述の『都風俗化粧伝』には、「大きすぎる目は見苦しい」とあり、「瞼の白粉を濃く塗り、目の中へも粉が入るがごとくに化粧をする」など、目を小さく見せる化粧法が記されています。
肌の白さや、ほどよい鼻の高さは現代でも好まれますが、目に関しては江戸時代と現代では美意識が異なるようですね。
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